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   未来の1年は1秒でくるけれど。過去の1年は10倍で遠ざかってゆく。

(このページ"For people creating language arts."は世界的分析サイトNedstatの「Art and culture general」日本部門の上位にランキングされています)
出版と学習支援の研究所:
組織および社会人と学生の知性を応援します。すべての世代が一般教養を超えて成長する時代に入った。”

The Nishio Cultural Research Center
西 尾 文 化 研 究 所
(2006)

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■2006(H18).7.25。「豊かになった日本人とその昔」。
昔に比べ。「養子」がなくなった日本。「住込み家政婦」、「お手伝いさん」、がいなくなった日本。他人を家庭へ入れなくなった日本人。明治〜大正〜昭和敗戦、までは、そうではなかった。そういうことを、知らせたくて、男性は知性派映画監督が、女性は向田邦子のような脚本家が、日本を描いてきた。敗戦までは、今のような日本人ではない、つまり、欧米と同じ文明/文化的スタイルを歩んでいた、が。戦後の日本官僚による国の建て直しは、いわば「擬装建築」によって建った日本国を見せつけられる、ものとなった。他の人種との間の緊張は、つねに、どの国においてもあるが。同じ人種間 (つまり社会)で緊張が起こるのは野蛮に等しい。戦後の官僚指導層が描いた日本人の暮らしとは、(本来、国家間競争のものである)資本主義を、国内の階層間へ利用したものであった、考えられる。それらの悪影響が現れていることを、好んで描いているのが(戦後派と呼べるだろう)橋田寿賀子のような脚本家や男女問題を書く女性作家だろう。最近、受賞している若い男性作家なども戦後派と呼べるだろう。戦後の弊害を利用して生きる個人の知恵だろうと思う。戦後型つまり「利用された資本主義」は、現代までに、地方官僚が応用するに至り。今日にある。資本主義が悪いのではない。戦中の軍隊のように、資本主義を国内で利用した、官僚と指導者が、悪いのである。昨今で言えば、税金の債務者は支払ったのに、役人が横領し、上層役人は逃げている、のである。(*国内の資本主義は「便宜を図る」という競争をいうのである)。さらに日本の「法」がゆるいのである。これは人種に「主観ひとつ」しかなく、三権を「分立できない」という宿命からきている。資本主義の伝道者である欧米が怒ったのも無理がない。資本主義は国民に向けて使ってはいけない「秘密の剣」なのだ。日本の「武士道精神」を尊敬していた欧米人が、戦後、日本国民をかわいそうに思い、資本主義を悪用した日本政府を信じていない、のは。明治・大正時代の日本人を尊敬し愛している名残りがあるからだ。国家間競争は発明の競争のようなもので。主義も、弁論も、学問も、商品も、サービスも、そのための発明品として利用され、他人種にも「良いもの」は他国においても採用されてゆくのである。日本が採用した資本主義のように。そして、「芳しくない」ものは不採用になるのである。中国が不採用にしようとしている官僚的社会主義のように。地方にも広がった、「秘密の剣」の悪用、は。剣が悪いのではない。「本来の日本人がもっていた良識」を教育できなかった地方の指導者の家系の教育の歪み、が原因なのである。毎年産まれる数千万人の新生人が自立した判断力を身につけるような世界になるまでは、指導層は世界中のどの社会にも必要な、つねに存在する人々だといえる。この指導層が自立した判断力を満足に教育されない、社会が、到来している。とすれば、大変に蝕まれていることになる。「楽しむ」ことと、「向上する」ことと、を同時に出来ない。という不幸を日本人種は自力で乗り越えなければならない、と思う。他国はよその母国語を改良しようなどと考えてはくれない。15世紀に表音文字を採用して自ら「ハングル文字」を発明し、自立の運命を目指した朝鮮半島の歴史を思い、ハングル文字を「hang(le) there=頑張れ 」と勝手に読みかえて思う。ユネスコが人類に価値があるとした永久知恵遺産「世界の記憶」に認定されて世界に公開されている。他に東アジアからは中国の文献が登録されている。日本のものはまだ無い。二つを追うことを戒めた、ことわざが、日本には多くある。2つともダメになる、という。今も考え未来も考える。多角的に考え、多目標に対策を立てる、ことができなければ、受注ばかりで発注することのない企業のようになってしまう。おそらく自動車産業の王国はそのような骨格ではないかと想像する。立案によって自立する、専業が他にもある、そのような戦略で世界の現状を生きる。そういう能力は、日本国にとっても、(国民ではなく)個人にとっても、めざしたい方向だ。世界で最も労働量が多いGDP(実労働量)の日本、であるが。その国の通貨円は、世界で貯蓄されている率(外貨準備金)が「5%割れ」にすぎない。アメリカドル66%、ヨーロッパユーロ24%、イギリスポンド12%。戦後派の脚本家や作家が描いているような、場面は、「資本主義の国」ではない。資本主義の国は、国の将来を信じられない緊張から、国内の人々が争う、ことはない。「国内で人々が争っている国」は、資本主義の精神が国民の精神を、うるおわせていない、という国である、という証拠だといえる。資本主義の精神が正しく教育されていれば。国内の人々の貧富に関係なく、人々の人生はつねに潤う。なぜなら。誰にでも機会が均等にあり、人格と能力を磨き、なりたい自分になれる。そういう「精神的保証」が人々の間に担保されている、からだ。だから、「ねたみ」「嫉妬」「復讐」「暴発」といった主観的野蛮を、他人の尊厳を危めるそうした行為を、「保証を破壊する者」と見なす。普段から異常がみられて異常が暴発するのは、道理がとおっている。正常な行動である。(英語では、原因となった、無理のない理由・原因は何か、 Whyという)。普段から正常にみられて異常が暴発するのは、道理がとおっていない。異常な行動である。(日本の社会にみられるこの現象は英語では該当する語がない)。ここに日本人種一般(とごく一部の欧米人)の特質がある。人種とは、ある言語を母国語とする共通の人々、である。日本語の賞味期限は、日本人の賞味期限でもある、わけだが。日本は経済的自立からきた自信によって「欧米文化軽視」が始まっており。これまで日本にかぶさっていた重い「欧米の精神文化のフタ」がとれ始めている。私が懸念しているのは、日本語がもっている欠陥が、社会の表面に現れ始めてきた、のではないか。ということである。これまで。日本語からくる避けがたい「主観的」ビュー(view。広い世界の一部を見ている、を指している)は、流入する欧米文化の影響で、中和されていたが。流入の副産物として発生した日本語軽視が、(かろうじて保たれていた戦前日本人の日本語の)論理性を消失させた。ここをついて、日本人の「主観だけによる行動」が表面にあらわれて来ている、のではないだろう、か。いまは帰国子女がもたらす新しい、欧米型論理性と日本語ことばが、軟弱な地盤を形成しつつある時代だ。日本人種が本来もっている向上心を成長させてきた100年間を無視して。古文を復活させる、というような根本的に未来への視野をもたない、考えが、次の時代の日本人を襲うことのないように、願うばかりだ。欧米文化や資本主義を採用したからといって、日本人が日本人種でなくなる、というわけではない。日本が1000年かけて磨いてきた、「主観のみ」によって世界をとらえる、日本語がもつ、「主観」は、欧米の主観とは別のものであり、「欧米に無い」ものだ、と思われる。「我を知って、欧米も知る」という言葉にして私が保とうとしている考えは、「歴史が日本人種をつくるのではない。自分を知る日本人が日本人種をつくってゆく」のだ、ということだ。広い屋敷をもつようになった日本人のお金持ちの、一体どれだけの人々が、何人の「お手伝いさん」と一緒に暮しているだろうか。他人を信用できないお金持ちが多いのではないか。それに象徴されるように、日本人は警戒されているのである。もちろん、今はその方が安全かもしれない。ここに至っては、「子どもたちの自主的な判断による自立」を念頭においた、ほんとうの教育が復元するまで、何世代かを待たなければならない、からだ。当分の間、つまり日本版モンロー主義(アメリカの資本主義形成での孤立時代)の間、国内の「さまざまの2極化」は避けられないのか。
(2006.9.5. 西尾文化研究所発)



(西尾文化研究所 2006(H18).9.5.)











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