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■2004(H16).5.12。「法王庁の避妊法」。 先日2004年5月9日深夜に、NHK衛星放送で「法王庁の避妊法」(2003年末世田谷パブリックシアター上演)が放送されました。西尾市に関係があるものです。●原作:篠田達明著「法王庁の避妊法」(文芸春秋社刊)、ホリ・プロ公演、鈴木裕美演出、飯島早苗作)。●荻野久作の最初の論文完成前後の研究時期を舞台化した物語。論文は後に有名となる、ローマ法王が認めた唯一の避妊法「オギノ式避妊法」の理論的な根拠となった研究論文です。この研究は避妊の研究ではない。実際に「避妊としての利用」を提唱したのはオーストリア人の「ヘルマン・クナウス」です。避妊法としては確実ではないと久作自身が言っている(*この本文下の追記を見てください)。●久作は「排卵荻野学説」を提唱した産婦人科医で主要論文3編を含め全58編を発表して世界的評価を獲得しました。アメリカの国立医学図書館に所蔵されている論文もあります(荻野式避妊法)。●次の月経は「その2週間前に起きる腹痛」から予測できることを発見し。次の月経の12〜16日前に排卵が起きることに気づいた。●荻野学説とは「排卵は次の月経第1日から逆算して14日プラスマイナス2日にある」と結論したものです。妊娠を偶然でしかできなかった当時の世界に比べれば、妊娠したい女性はこれによって非常に高い確率で受胎できるようになりました。逆にその時期を外せば妊娠の可能性は非常に低い、とした。●久作は豊橋の農家の次男として生れ時習館中学2年の後、東京の私立日本中学3年生転入前に養子となりました(1900年明治33年)。久作の養父である荻野忍は明治4年西尾藩15代当主の松平乗秩(のりつね)の東京転居に随行して転居した。明治10年に佐賀の佐野常民と西尾藩から岡崎へ分家した子孫大給恒(ゆずる=松平乗謨のりかた)が中心となって立ち上げた「博愛社」は明治20年に「日本赤十字社」と改称されました。松平乗秩の子松平乗承(のりつぐ)がここの副社長となったので忍も入社して人事係長を務めた。●忍の妻は西尾藩の武士高橋の娘で、その妹である高橋瑞(みず、1852年生れ)も25才で上京して苦学して産婆(日本の産婆1号)と女医(日本の女医3号)の資格を取得した。劇中の主な出演者は、久作の妻とめ、(会話内で登場する子ヒサコ)、同僚の医師タカミ、弟子医師フルイ。舞台役者 勝村政信、稲森いずみ、西尾まり、ほか。●久作は母校東京大学で2年研修後、明治45年から新潟に永住して昭和50年93才で亡くなった。 ●主要論文は@1923年「人類黄体の研究」(1924年東大の博士号取得論文)。A1924年【排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化との関係、子宮粘膜の周期的変化の周期及び受胎日について】。B1930年「排卵日と受胎日」(ドイツで発表大反響、世界的評価を獲得)。 ●その業績と人柄はこちらのホームページでどうぞ: http://www.lib.niigata-u.ac.jp/Bunkan/ogino1.html ●久作は子宮がんの手術法の改善も行ない現在の手術法の基礎を築いた。 ●研究の恩師は当時の新潟医科大学病理学教室川村麟也教授。 ●新潟大学図書館には杉田玄白訳「解體新書(Kulmus著)」など貴重な本が所蔵されています。 http://www.lib.niigata-u.ac.jp/Bunkan/fujita.html ●荻野忍の資料「西尾の人物誌」。 ●高橋瑞は別の■2004(H16).3/13.の記事をご覧ください。 (2004.5.12. 西尾文化研究所発) *本文追記:オーストリア人のヘルマン・クナウス(Hermann Knaus)が久作の手法の目的を逆転させて避妊法として使うことを提唱する。これは当時から避妊法としては他の手段と比べて非常に不確実な手法であることがわかっていたので久作は反対意見を表明する。しかし不本意にもこの避妊法は後にオギノ式と呼ばれるようになる。もっと確実な避妊法があるにもかかわらず自身の学説を安易な避妊法として使い、結果として望まない妊娠をして人工妊娠中絶により失われる命のあることに久作は憤りを感じていた。そして、むしろ不妊治療に役立てて欲しいと主張した。 新潟市の自宅前の通りは、その功績を讃え「オギノ通り」と名づけられている。「cf.Wikipediaより。」 ●追記2008.10.30:アメリカ婦人医学「BirthControl避妊」ほかをクリックして記事の本文をご覧下さい。 (西尾文化研究所 2004(H16).5.12.) |
