|
|
■2003(H15).4/2. 「イスラムのファティマ」。
地中海の東と南の地域へ旅をすると「ファティマの手」という、女性のアクセサリーや家屋のドア飾りや タクシー内のアクセサリーを見かけます。fathimaという名前の女性も多い。イスラム教の国々では「理想の女性」だったと言われる。でも実際は悲劇の母として伝説となっているのでしょう。▼父はラクダ飼いの少年だったが当時アラビアのメッカは海と内陸を結ぶ通過貿易の重要地だったので商人として成功しました。彼女は親戚のアリと結婚して1男1女の母となりました。アラビア半島一帯に影響力をもった父が死ぬと父が始めた宗教運動イスラム教の後継争いの中で夫アリが暗殺されてしまいます。▼本来の血筋に味方した人々は「アリの党」を旗上げしました。イスラム教「シーア派」と呼ばれています。父マホメットが没した翌年633年にはイスラム勢力はイラクとヨルダンまで軍隊をすすめました。これから約1世紀の間にイスラム教団は、地中海東域・南域へとイラン・シリア・エジプト・アフリカ・スペインに及ぶ巨大な帝国に発展しました。サラセン帝国ともいいます。イスラムでは宗教指導者が政治指導者も兼ねます。▼北方の勢力はビザンチン帝国というキリスト教勢力でした。今のトルコを中心としていましたがイスラム勢力(スンニ派)に攻められてイスラム教になりました。▼今でもファティマの父と夫の直系派を認じるシーア派は主流派ではありません。イラクでは62%がシーア派ですが民衆側で、支配者フセインはスンニ派側です。逆にヨーロッパ人の血筋であるイランは95%がシーア派で指導者も民衆も同じです。攻められて改宗したのでした。サウジアラビアはスンニ派です。▼イスラム教では女性は自分で人生を決められませんから派閥に関係なく女性の連帯感が「ファティマ信仰」を生んだのでしょう。彼女の手を色々なデザインにあしらった装飾品は「お守り」として人気グッズです。▼「守りと戦い」を「神」の仲介で無事に果たすと述べる聖典コーランに忠誠を誓うイスラム教団にとっては「英米が進行中の対イラク戦争」は重要な聖戦だが、政治と宗教を分離した実際の各国指導者たちはイスラムに対して開放されたままの欧米でいてほしいのだから宗教的対立の構図を世界が描くのを望んでいないでしょう。彼らにとっては宗教はさして問題ではなくそれは国内治安を計る変数にすぎない。▼むしろ、「欧米」対「OPEC諸国」として世界経済の2大勢力の片方としての求心力をいつ奪われるか分からない、中国の登場の方が気がかりと思う。社会主義信仰をコントロールしながら急速に世界経済に食い込んできているからだ。中国は巨大な石油輸入国にもなるでしょう。 (西尾文化研究所 2003(H15).4.2)
|
|