『完璧な幸せ』制作中です(2009年12月31日)。検索で来られた方は今後は
↓下記で
「ホームページ」をクリックしてご覧になれます。
@
「平和国際都市文字放送」
はこちらです。 A
「西尾文化研究所ホームページ」
新聞はこちらです。
B研究所内の「サイト検索」です。
C(西尾文化研究所は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています。安心してご覧ください)
2009.12.31.(平成21年)
矛盾の無い自分と新しい見方を学べる言語・英語
-『完璧な幸せ』-
Oct22,2009.
(出版と学習支援の「西尾文化研究所」は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています)
私たちは同じ一日に
真実も未来も考える。だから図書館と放送局
を兼ねるようなメディアにコンタクトしたい。当研究所内リンク:
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今日のビュー
(テスト中Oct22,2009)
英語という言語で生きていると個性的なことを思いつく。
ExtremeSliding .
86yrOldBodyBuilder .
Adventure
Art
Buisiness
Documentary
Entertainment
to learn
Science
Wildlife
TODAY's
TOPICs.
.
宇宙はあなたの身体のかたちをしている。
あなたの指のすき間はもう宇宙の一部。
英語という
言語ならその境界で全てに感じることができる。
作業中
作業中
作業中
作業中
作業中
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作業中
作業中
リンク集
西尾文化研究所の
2001年の頃。
Dec 31,2009.
年末にあたり
8,7年前
の頃をふり返って見れます。
2001(H13)年
*新題名で一覧表にしました。
10727 介護ビデオ..。
10816 終戦引揚者..。
10819 健康保険証..。
10824 西尾の銅鐸..。
10827 特別支援学級。
10828 福祉の事故..。
10830 IT業界不況..。
10901 浮かれた日本。
10903 さくらさくら..。
10906 鰻とプレート。
10907 公営競輪撤退。
10911 狂牛病......。
10913 9・11テロ.。
10915 2010年迄成長。
10916 日本の国債
..。
10919 TVも映画も..。
10921 労働中心構造。
10928 東海銀行解消。
11009 地震の予知..。
11017 作家向田邦子。
11019 女性医師物語。
11023 地方の女医..。
11113 WindowsXP登場。
11114 中国が追撃..。
11201 愛子さま誕生。
11213 障害者と社会。
2002(H14)年
20108 日本の人権..。
20109 ワンニャン権。
20115 西洋1月1日。
20118 見通す力
....。
20202 混合文化....。
20207 日本中国の逆転。
20216 言語と中国..。
20222 市町の公開性。
20225 地方の沈滞..。
20304 青少年の自立。
20309 文字と音....。
20327 フィールド予知地震。
20407 ローマと西尾。
20418 地方教育と事件。
20518 脈絡と発見力。
20701 2010年を予想
。
20715 自民党の自信。
20800S 公共職業安定所。
21116B 中国13億人。
21130B 変われない日本人。
21221B 自明の理..。
英字
は容易で意味は知恵ぶかく話者を主体にする.
辞書
は'意味'でなく過去の事例にすぎない.
意味
とは語が宇宙に占める位置である.
人
と鳥だけが大陸を往来できる.
あなた自身の感性へようこそ.
'表紙'
西尾文化研究所の英語辞書「麦っ子」近年販売予定Ver2009AllRightsReserved(C).
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H
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789
(〜研究所は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています〜)
今回の内容は年末特集「昔の記事」にしましたから。ここにもう一つ追加します。
ここから下は、西尾文化研究所がメールマガジンで発行した
過去の「論説」
です。
▼
[
平成22年8月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 2010版』(2010版は活動第2期です)。
読者でいてくださってありがとうございます。
当研究所のメールマガジンは、この画面『Tunepathy@』の中へ移動することにしました。
しばらくぶりの今回8月発行のメールマガジンは、
前回以降に発行した実験中の当研究所Tunepathyが内容となっています。
『このページで』
下記の内容をご覧になれます。
---------
2010年6月 イタリア映画「LE CHIAVI DI CASA」。
2010年6月 録画生中継「Ustream」の例。
2010年6月 アメリカ「映画/演劇」。
2010年6月 アメリカ「Rowan University」。
2010年6月 Twitter「ツィッター」。
2010年6月 「ボストンカレッジ」。
2010年7月 「外国人労働者の死亡」統計。
2010年8月 表現するという自己育成法。
---------
2010(H22)年9月3日 西尾文化研究所
NishioBunkaKenkyujo,JAPAN
Email: bunka@nishnet.ne.jp
http://www.viasense.nhki.net (全国向けの文字放送)
http://nippon.nhki.net/sinbun (地元向けの新聞)
http://nippon.nhki.net/magmag (無料メールマガジン)
(〜研究所は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています〜)
[
平成22年4月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 2010版』(2010版は活動第2期です)。
ことしも読者でいてくださってありがとうございます。
西尾文化研究所は研究活動を始めて以来、ことし2010年は目標としていた「第2期」に入りました。
高度になった活動に注目をいただきたい、と願っております。
ホームページでは一部を日ごと単位で更新しはじめました新様式のページを追加しました「Tunepathy」。
メールマガジン「サイクリック知識」は従来どおりですが。内容は上記「新様式のページ」に連動するようになるとおもいます。
下記のURLをクリックして直近のページをご覧ください。
-------------
西尾文化研究所の「Tunepathy」(ひんぱんに更新を実験中)
http://nippon.nhki.net/sinbun/popwinDVD2.htm
-------------
(April 10,2010. NishioBunkaKenkyujo,JAPAN)
近年、国内外のインターネット上に当研究所「Tunepathy」のメッセージビデオがYouTube経由で再掲載されているのをみかけます。「西尾文化研究所」もしくは「NishioBunkaKenkyujo」の名前が併記されています。
ごくまれに不適切に名前の流用がされています。西尾文化研究所が使用しておりますURL名は「下記の3種類です」。
*************************************************
* トップページ http://www.nishnet.ne.jp/~bunka/ *
* 内外文字放送 http://www.viasense.nhki.net/ *
* 国内地元新聞 http://nippon.nhki.net/ *
*************************************************
2010(H22)年4月10日 西尾文化研究所
NishioBunkaKenkyujo,JAPAN 高橋
Email: bunka@nishnet.ne.jp
http://www.viasense.nhki.net (全国向けの文字放送)
http://nippon.nhki.net/sinbun (地元向けの新聞)
http://nippon.nhki.net/magmag (無料メールマガジン)
(〜研究所は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています〜)
[
平成22年1月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 2010版』(2010版は活動第2期です)。
新年おめでとうございます。
西尾文化研究所は研究活動を始めて以来、 新年で13年目を迎えました。
ことし2010年は目標としていた「第2期」に 入ります。私事ですが今後の研究所の高度になった 活動に注目をいただきたい、と願っております。
本年はじめてのメールマガジン 「サイクリック」は、 昔をふりかえって研究所の 2001年と2002年当時のホームページの 一部を再録してみました。
下記のURLをクリックしてお読みください。
-------------
昔の西尾文化研究所のホームページ新聞
http://nippon.nhki.net/sinbun/2001nishiobunka.html
-------------
*現在のホームページはすでに第2期のために 一部で実験をはじめております。
日本を含む世界にとって 今年がさまざまな活路が開かれる 良い年になりますように。
ことしも読者でいてくださって ありがとうございます。
(Jan 5,2010. NishioBunkaKenkyujo,JAPAN)
---
2010(H22)年1月5日 西尾文化研究所
NishioBunkaKenkyujo,JAPAN 高橋
Email: bunka@nishnet.ne.jp
http://www.viasense.nhki.net (全国向けの文字放送)
http://nippon.nhki.net/sinbun (地元向けの新聞)
http://nippon.nhki.net/magmag (無料メールマガジン)
(〜研究所は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています〜)
[
平成21年9月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 第2版』]。
いつもお読みくださっていてありがとうございます。
昨年に、研究の大詰めを終了して、そのままの惰性で毎日を過していたら 「年季競技場」のトラックをまたほぼ一周回ってしまいました。 自分を思うに。この夏の今まで、満足感と放心の状態にあるらしく。 「ただいま、私の脳内活動は地球外の天体におります」。というような 馬鹿げた表現が浮かんできたりします。
発行が不規則になっています。おゆるしください。
きょうは久しぶりに、一気に浮かぶものがありましたので。 お読みいただけますよう、お願いいたします。
「民主党」「日本人と外国人のみなさん」”おめでとうございます!”。 21世紀の今日。「領土と国民を、政治が支配できる」という考えをもった 低俗な政府に対して。日本語人が初めて反乱して、それを「崩壊させた」 ことは。古代からつづく日本語の欠陥をかかえた人びとが、初めて、 「日本人」個人としての意識を復活させたこと。でもある。
国の政策によってではなくいっせいに足並みを揃えて行進した「記念日」 だと思う。日本人は日本語によって脅迫されさえしなければ、もっと発揮 できる能力をもっている。
なぜなら、常に「自分を大切にするのと同じように相手に接する」という 礼儀を、古代からもっていたからである。それは文化がもつ両面のうちの 良い面の方でそちらを好んできた民族でした。
文化がもつ反面つまり日本人が野蛮になったのは政治を利用するように なってからで。特に西欧から法制を学んで以降です。
つまり、日本語の欠陥に付け込んで私物化しようとする「立法府」と 「立案官僚」が誕生して以降です。天皇制の精神は利用され、 日本人の素直さは利用され、日本語人の無垢さは利用された、 のです。
だから。日本独自の民主主義と官僚制度が築かれたのでした。
地中海と欧米文明の官僚のもともとは(納税市民がかかえる自由売買奴隷 とは別の)王に仕える身分保障された奴隷たちです。(のちに自由奴隷は 商人や一般労働者となって得た利益から納税する市民となりました)。 日本では「身分保障」と「一般労働者と同じ社会保障」とを2重取りする ようになったのです。
アメリカ映画の「十戒」にはおかかえ奴隷たちの監督をする待遇の良い 奴隷が登場しますが、この奴隷が王(天皇)がいなくなった後に 実務の「立法」まで手に入れた、のです。
だから。欧米では減滅した官僚の弊害が、日本では生きています。 これを見抜けないのは「倫理を考えることができない」という 日本語の欠陥と、それを正す「道徳を考えることができない」という教育 の欠陥、からです。
太平洋戦争で日本が負けた後に、「天皇制の存続」を英米が認めることが できたのは「英語という文明語」が「文化の良識」というものを知って いるからでした。
しかし、それに反して。昨日までの日本政府は「文化の野蛮」を隠して 持ち続けたのでした。そして敗戦から60年間、日本文化の暗闇の政治官僚 世代をアメリカも利用してきた、のでした。日本人がき然とした態度で 本来の精神にもどってアメリカに接していれば。今よりも良質な日米関係 になっていたでしょう。
英語という言語には「平和についてより純粋な精神の方に説得される」と いう原理があるからです。
「自由民主党」を捨てて、より純粋な精神を求めて派生した「民主党」の 方を日本語人が選んだ、という結果が意味しているものは。現代日本語人 が、日本語の欠陥を抱えながらもはじめて、英語のような言語的行動 (平和のための挑戦)を行なった、というとても「大きな体験だ」といえる。
でも小さな一歩だ。
極東の端の島国に住むわたしたちが僻地の人間ではなくなるのは21世紀 半ば頃だろう。つまり、実際的に「地球語」である英語という言語をまだ ほとんど理解していないからだ。日本が教育している英語は「思考の手段 としての言語システム」ではなく「英単語」である。これを政府官僚が 気付かなければ官も民も「永遠の一歩」のままだ。と私は思っています。
(2009.9.1.西尾文化研究所)
今回も、読者でいてくださって、ありがとうございました。
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(内容の転用/流用を禁じます) H21.9.3.
西尾文化研究所:発行
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平成21年5月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 第2版』。
紙原案には「身辺の新習慣」とか、「青年期群像の消息」とか、 「論理的空想」まで。さまざまな文章が堆積しています。 メールマガジンも発行を続けますのでよろしくお願いします。 (ここ半年間の間に。私が読者として配信を受けていたメールマガジンの数「誌」が、 廃刊されました。その方達の、あるいは現行の、発行者の方々に「感謝」しています)。 私は、1997年に研究所活動を始めまして。 昨年からは「新しい10年間」が助走を始め。 現在2009年には研究成果を反映させた、 DVD教材(仮題)「英語という言語を通して見える世界『完璧な幸せ』」
http://nippon.nhki.net/sinbun/popwinDVD0.htm
http://nippon.nhki.net/sinbun/popwinDVD1.htm
などの実験シリーズ作業に入っています。「実際の現実」と「言語の仕組み」とは互いに、 対極(di-)の関係で存在しているわけですが。 私としては、それを「見聞き感じれる」ようなシリーズとして仕上げる予定です。 つまり昔の、物理の話題のように。もし、丸い地球上に山がなく、無限の可視力があれば。 地球上に立っている自分は、「自分の後ろ姿を見ることができる」。 と、いうことを現実に実現している言語である、 英語という言語を、そのように「意識を感じれる言語」として紹介し、 世界言語としての保証を日本語文でまず紹介したいのです。 今回もマガジンの近況を記事にいたしました。 (21 May, 2009)
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(内容の転用/流用を禁じます) H21.5.21.
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平成21年2月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 第2版』。
1960年代当時、芸術学部では「産学連携」と呼ばれる実学の教育が行なわれていた。 つまり、学生が与えられたものは。人間が築き上げてきた知的資産の各分野の展望、 と、人間性の心理の具体的実際、であった。それは、私の解釈で言えば。「一般の 人びと」と「実在世界」と、の間の「インターフェイス(界面活性)を創造する」のが 芸術である、という「美学あるいは哲学」であった、ように思います。一般の メディアは単に「学生の企業戦士化」の時代だと見なしていた、かも知れない。 しかし、現場の教授や講師は英文学や音響学やTV映画理論学の指導者で、極めて 専門分野の「知的な内容」であった。私たちは貧しい時代に育ったが、大変豊かな知性 の日本人に教育されて恵まれた。彼らはそれまでの日本に無かった学問を欧米から 苦学して学んだ先生方であった、からだ。 先端を開いた人は、学生が先端を開こうとしている、と信じてくれる。 でなければ。今に思えば「重要な要点」をあのように「冷静に淡々と」語り進める講義を できなかっただろう、と思う。それらの2つか3つの要点が「起点」となって類まれな 個性的なケーブル(脳内の軸索)が学生の中で伸びる。それだけがあれば後は 自分で成長できる。何を採集すればよいか、を分かるようになる。それらが集積されて 私の中のそれらも、現実と、真実と、へのインターフェイスとなった。
私は後に医学系大学のコンピュータ学校教師を勤めたが。ここでは医学系先生方の 研究教育は先端的で真剣なのが遠くから伝わってきました。極度に先端的になってきた 医学の分野で「医・薬・療」全般を現場という1つの世界の中に実現するということが、 私にはとうてい想像ができない。病のない人類の時代はないわけですから、 それらに関係する分野のみなさんの挑戦は本当に神聖な日々です。 患者の24時間休まない人体のメカニズムに歩調を合わせて診察介護し、スタッフも自らの 健康を保持しなければならない。 その厳しさは、たとえ表現芸術が極みの挑戦をしたとしても及べるものではない。
さて。
私は高齢にさしかかっているわけですが。今日まで健康で来れた理由といえば、 一度に多くを望まない、という生き方にあるかも知れない。なんでも長い計画をたてて、 そうするのが当たり前の気持ちになるようにそれをする。「ソレ」が習慣になった 毎日ってどんなだろう、という楽しみをひとつひとつ人生に採りいれてゆく。だから、 後戻りということがない。「より快適を探る毎日」「選択的な毎日」。これが私だから今までもこれからも「私の人生は平凡だけれど楽しい」。
このメールマガジンを何度かお休みさせて頂いたには訳があって。 今年から始まる私の「新しい10年」が自然な前倒しで早くに昨年中から助走し始めて しまったためにメールマガジンがその余波を受けました。書きたいときに書く、書きたい ものだけを書く、という生活態度は結構繊細なんです。「何かに合わせて」言うとか書く とかではなく。言いたい事が一番になった時に書きます。広告コピーであってもそう してきました。 実は。英語という言語の研究をして来て分かったことですが。英語の仕組みが、 これに通じていました。 英語という言語は「言いたいことしか言えない」という言語構造になっていて。 「他人に乗じて合わせたこと」を言うと。本人にとってはとても苦痛が伴うように できています。言いたくもないこと、を言っている。そのような発言をすると、 話者本人の中を「苦痛が走ります」。 つまり、”自分の頭脳はカラッぽです”、と言ったに等しい はずかしさを感じるように。言語が精神的発達をしている、のです。 仮に。それをもう一度、今回は日本語へ置き換えて申しますと。日本社会のように、 冠婚葬祭・受験・面接などの「個人的発言の場であっても。マニュアルか人真似なことを 言えば通用する」社会の人々が理解できるような言葉でいうなら。 ”私を見てください。私はおバカさんです。ですから暗記してきた他人の言葉で 挨拶させてください”と、実際に口に出して挨拶する、くらい恥ずかしい事だ。 ということです。 他人に決められたことを「自分の心」とは呼べない訳ですから。 英語圏でまともな教育を受けた人々から日本人を観察すれば。 確かに「日本人は信用できない」という懸念があるのは当然でしょう。 式典ですら、「心に無いことを言っている」「心の中に自分というものが無い」という 社会に「不信感をもつ」か「軽蔑する」態度の、外国人「政治家・芸能人・留学生・ ビジネスマン」を一方的に責めることもできません。 私の考えによれば。日本語文化は「竜頭蛇尾」の文化ですから。物事の初めは「大げさ」 に吹聴し。途中報告は「適当」に流し。結果報告は「なくても気にしない」。という 精神が日本語人の性質である。「記憶」はあるが「考える」という作業がない、という 英語で言う「イノセント(幼稚で無垢)」な文化なのであります。 英語に目覚めなければ「日本語人は不幸持ち」のままといえるでしょう。
これからの10年間の新しい追加ホームページの題名を。 「英語という言語を通して見える世界-『完璧な幸せ』-」。 にしたのには、以上のような事情がありました。 研究すればするほど。英語という言語は、日本語的に呼べば「超すごいシステム」で あり。 そこから、世界現代史が生み出されてくる、のもうなずけます。 「宇宙・地上・精神」などあらゆる世界について。日本語とは全く異なる 「世界分割のカテゴリー」を有し、あるいは新規に生み出す能力をもったこの言語が、 日本語人の辞書にも正しく反映されることを願いたいものです。
ここで原稿内容の半分ですが。長文であるために、あとは別便にしたく思います。 読んでくださってありがとうございました。 すでに出来上がっている後半は、次の機会にお届けさせていただきます。
今回も、読者でいてくださって、ありがとうございました。
(14 Feb, 2009)
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(内容の転用/流用を禁じます) H21.2.14.
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平成20年10月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 第2版』。 前回の発行からもう2ヶ月が過ぎました。 ローラースケートと知覚技術の研究、しかしていない私ですが。気づけば この原稿の定時にさしかかっている。技術開発の最終だった1年ほど前から 睡眠時間を少し長くしたので日中を短く感じているのだと思います。 それに加えて今年は体力を確認しておくつもりなので滑る日も圧倒的に増えた。 それがまた、その分、新しい人との接触も増えて研究の視写界深度を深くして くれている。
本題にはいります。前回は、日本語人が日本語で考えているつもりでいる論理は、 明治以後に西洋から学んだものであって。そのために米飯をミキサーにかけて いるような、誤った和洋折衷な感覚も生じている、という見方をお話しました。
日頃。 英語言語システムという「生体」を衛生検査していると。逆に日本語人 の「言語システム」の特徴を顕微できる。 言葉は私たちの口から出てくるが。出た言葉は、ほとんどの場合、私たちを圧倒的 に包み込んでいる巨大な外界の幻影をもっている。逆に。取り込まれてくる実際の 巨大な外界は、知覚という小さな入り口から細部に切り分けられて入ってくる。 全体を全体として見る体験は芸術(art)を通す以外に無い。結局、私たちのセンスは 世界への入り口なのだ、といえる。
17世紀イギリスのニーマイアー・グルーという医師は、植物の「花」は生殖器官 だと推察して顕微鏡観察によって各々の植物の系統を類推する技術を開発した、 植物学者であったようです。魑魅魍魎(ちみもうりょう:山林川石水の精)の混沌と 考えられていた自然を「縁起のあるもの」とする、つまり「系統網」という概念を 発明しようとした。彼の分類裁判は、18世紀スウェーデン人リンネの著書 「自然の体系」というドキュメントとして判決が成った。身近かに観察できる対象を よく観察比較すればその特徴を手がかりにして巨大な世界のどれに辿りつくかが 分かる、という「階層化された分類」へと成った。(*インターネット上の
この大学のページ
では「自然の多様さを神話の世界から科学の世界へと 飛躍させるきっかけに位置づけられるのがこのリンネの著作なのである、 と書かれている)。 彼は、人間を知恵ある者と見なし、その意味のラテン語「ホモサピエンス」と いう言葉で表わした。彼は正しいと私は思う。「人という種は、明確な言語能力 をもち、抽象的な推理能力をもつ、者」と見なしたからだ。 この書物が出版された国オランダの商館医師学者シーボルトが「日本語人種と 植物種」に大変な関心をもった、のも当然の流れでしょう。 そして、イタリア19世紀ファットーリは、部分と全体が互いに補完し合って世界 を統合するのだ、というリアリズムのある印象画を生んだ(*今年は彼の没後100周 年です)。
話をもどして。 英語を検査するとなぜ日本語が分かってくるのでしょうか。日本語を英語化する 過程で「魑魅魍魎」に阻まれるという障害に突き当たるからです。英語にするため には源(もと)となる文が必要です。しかし残念で不幸なことですが。「植物の生殖 器官は花である」というような表現は実は「英語からだから生れた日本語文」で あって。日本語では物事をこのように顕微的科学的に観る思考の「脈絡」が ありません。文を創るという機能は持っておらずに。石碑を拓本するように 「見聞をことばに写す」という「脈絡」だけしかないからです。日本語人がいう コミュニケーションは(英語の本来の意味とは異なっていて)「自然信仰的あるいは 暗黙的承認による合意」に決着する、ことを指しています。連帯感高揚のために 言葉が並べられ、適当な量になったら、適当な時点で閉じる。とそれを文と呼ぶ のが日本語のシステムです。
英語の文の誕生は。単語がもつ「あいまいさ」「不十分さ」を補間するために、 他の単語群を必要とし、それらを組み合わせるから、結果、その都度 「新築の文」になってしまう。本当は「1つの単語」で済ませたいのに。という システムです。だから、ファンクション語(機能語)つまり「ひとつの単語」に 新しい複雑な意味をもたせた語、を造語して、それ以降は「常用化」して より便利な合理的な言語システムへ向上させてきたのです。
そのように。 コンピュータプログラムの、必要に応じて新しいコンピュータ言語が開発されて きたのも、先人が自然を体系化したのに似た、「人工の体系」というドキュメント づくり、の一環でしょう。抽象を分類する法が確立していない日本語、が生み出す 「自然ことばの世界(具象なことばで抽象を語ろうとする)」は、無謀すぎて。 (他方の)繊細な分類法を採用している英語(の単語)では「該当する分類が一致 しない」。
口から落としてしまったガムを急いで拾って噛み続けている無邪気な子ども、の ような、、。場面を見て。そういう日本語人の言語上の表現に出合って。英語人は 「その心境を理解するのに、一瞬混乱し、よく考えてもどうもとまどいを隠せない」 気持ちになるのである。
ここに例えたような現場に居合わせた時にたぶん感じるような(自由な!?) 「別世界感」が世界中の若い女性から「東京ギャル」への憧れを、生み出して いる、のである。 (幸いにして、あなたがもし、今月1日深夜放送のNHK-TV 「東京カワイイTV」をご覧になっていれば、来日してきた各国の 若い女性やファッション誌の外人男性カメラマン」が語った、 東京ギャルの魅力の理由例、を確かめて頂けたのですが)。
これらは今日のテーマの範囲内に含まれる話題で。(英語がもっていない特質 つまり)日本語の(意味のゆるさがもっている)魅力に、共通する、いわば 「(ルーズな)ファッション(の魅力)版」と呼べるのです。
今回も、読者でいてくださって、ありがとうございました。
(3 Oct, 2008)
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(内容の転用/流用を禁じます) H20.10.3.
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平成20年7月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための『サイクリック知識 第2版』。
「ケネディ大統領」「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」 「ソ連邦の分裂」「国鉄民営化」「インターネットの市民化」 「マスメディアの衰退」「郵政省民営化」「農業政策・教育政策・ 医療制度・年金制度の崩壊」。このように、私の、高校生時代から 今日の老年予兆の時代までを、思い出の核とともに辿ってみると。 私の関心事も順調に徐々に熟した(鮮度が落ちた)ものに移ってきたように 感じます。欧米文化が、私たちの国日本に影響を与えて。台所には冷蔵庫・ 農地には工場・郊外には割安店、が普及した。そして間もなく欧米諸国の ように多民族の住む国になろうとしている。でも、都と府を別格として 除けば、現在はまだ「遅れて来た鎖国の国」という印象の日本だから、 私が40年前にアメリカの国道「ルート66」を東方へ移動しつつ見た時期の アメリカの地方、という様相だ。つまり日本では、戦後60年過ぎたのに 40年前の世界の日本版民主主義が行なわれている。「人権を無視した無戸籍問題」 「非嫡出子か嫡出子か問題」「代理出産の実子を不受理問題」 「公務員の未成熟」「政治家の未成熟」「選挙民の未成熟」「政党の未成熟」 などなど。資本主義の青年期は20年間だから、成長の背丈はもうとっくに 中国に抜かれている。青年期に西欧的知性修得を怠った日本は今、 「70才過ぎても働け」といっている。製造業で全世代を生活させるつもり らしい。これは「40年前の資本主義」だ。大手企業たちが「残業不払い」、 大手保険会社たちが「保険金不払い」、教育者たちの「不祥事」。 これらの背景にある、日本語人が考えている、「しくみ」の基礎とは何でしょう。 日本語人が指す「価値とは何か」「良識とは何か」。多分、日本民族に そういうものは無い。あるとすればそれは自分たちで考え出したもの ではなくて。ほとんどは、外国語で語られたものを通して、日本語かのように 知っているのである。「外国語を通して記憶した」ものだ。英語に対する 関心をなくしたとき、日本は民主主義の成長が止まる、と私は思う。 自分たちの民族の言語に普遍性を持たせようとする努力、つまり「辞書」の 編纂は、日本語には無かったように感じる。たった200年前に外国語辞書 づくりに使われた日本語が、逆に日本語の最初の「辞書」だったかも知れない。 最近の出版について、数学者の藤原正彦さんは、2007年の新潮社 「日本語漢字辞典」を、日本語を読むための1500年ぶりの初めての日本語の 辞書、国語史における偉業である、と推薦なさっている。言葉がその民族の 心情へ大きな影響を与えるのは当然でどの言語にもいえることです。たとえば。 日本語人には「孤独」ということばは生涯親しい単語です。これは日本語人に 独特の話題であろうと私は思います。本来、孤独という精神分析的な用語は 日本語には無く、「寂しい」という感情だけがありました。そこへ先に述べた 「外国語を通して日本語かのように知っている」ことばとして吸収された、と 思えます。私の考えでは、「孤独」は英語人にとっては大げさな意味を もっておらず単に「立場の表現の一種」であり。それが不運にも日本語人には 当てがうものとして「寂しいという感情」しか無かった、ように思います。 「心底」に通ずるこの道筋を通ったことにより「孤独」は「一生ものの感情」 として日本語人に根付いたのです。それは。英語という言語では本来は、 思春期に一過性的に味わう幼稚な感情で、その意味は「家族との一体的な 安心感」から「論理的で自立した個人」への過渡期に抱くある種の 情緒不安的感情、であり。あくまでも自律神経的なもので、自発的な感情 ではない。英語という言語は、科学(昔は哲学と呼ばれた)と共に発達した 言語であるから。生理的な構造や観察的な構造に非常に合致している、 と感じるのは当然かも知れません。、、、
(半端に中断して申し訳ありませんが、つづきは次回号で続ける予定でおります。 「まぐまぐ」配信システムでは「一定期間内」に必ず発行を求められる、ので まったくの自由発行とすることができません。今回も前回のように 「廃刊しておりません。このまま購読をつづけて下さい。お願いします」号を 発行しようか、とも考えましたが。内容がやや粗くても、粗いなりに思考の骨身を ご覧いただけて、他事に気をとられている私の気配だけでもお届けできる、と 思いまして。このような形になりました)。
お読みくださってありがとうございました。
2008(H20).7.17. 深夜 西尾文化研究所
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平成20年2月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・大学生・コンセプトワーカーのための 『サイクリック知識 第2版』。
● 日本人の「感情が薄い」のか。あるいは、深いのに日本の言語が「感情を表す力 が薄い」のか。このような疑問が「人種と言語」との関係で浮かぶことは、 今までの私には無かった。しかし、ここ数年、日本の放送や新聞で、報道や バラエティーやインタビューを「見聴き」し ている最中から、感じてしまう。 もっと、真剣に考えるべきだ。もっと真剣に表現すべきだ。という反応が 私の中に生じるようになってきた、からだと思う。と、同時に日本の国状が 語られるには「もっとリアリティ(実際的)」が必要だ、と感じさせる時代背景 がある、からだと思う。 日本の行政は「タテ割り」といわれ「他省庁/他部局」間の横の連携は「無い」。 しかし、民族言語である日本語は、タテ割りが「無い 」つまり「言葉の系列」 というものが「無い」。いったん、政界で流行語になれば芸能界の話題にも使われ、 タレントのギャグが当たれば 政治家の答弁でも登場する。大衆文化とはそういう 「混沌としたもの」だ、という寛容な意見もあるでしょうが。西欧では「けじめ」が あるからこそ「政治の実行力を厳しく審査する」大衆文化が健在なのだと思います。
● 本来の言語は「現状を実際的に再現する」手段として( 広汎に散住する人々を 同席させる)使命を果たしてきた(少なくとも西欧では文化と文明を生む 「現実的原動力」として設計されてきた)。 「書く」「見る」「言う」という基本動作についても、英語は、一般用でさえ実際の 意味に応じてそれぞれ「数種類」の単語から選ぶように準備されている。また、 「実際に終わった」のか「心の中では終わっている」のか「そう見える」のか。 これらを使い分けることが通常だ という文化の中で自分を他者と違わせなければ ならない。(日本語人の文化では「屁理屈」だとか「細かすぎる」と逸(そ)らせる ことも可能 だろう)。これをあいまいに過すことができない英語人はどこへも (日本語人のようには)逃れることができない。自分を他者と区別しなけれ ばならない 英語人は、「孤独と個性」の点で相当に「忍耐と意欲」をもつ育ちをしている、だろう。 日本語人は「妥協できる人間の群れ」 の中で生きるが。英語人は「成長競争する人間の 群れ、と、神の支援」の中で生きている。、、ということを(英語という言語を解析 すると )信じさせられる。
● 結論ふうに言えば「日本語で語られたこと」をどんなに追求しても「『実際』へは 突き当たれない」という性質があり。また、『実際』を 公表しないというのは日本文化 にとっては「大した問題」ではない、という特性がある。私は昨年頃から、この特性の 原因は「日本人の心の奥底の秘密、つまり、自分たちは物事を理解していないかも 知れない」という歴史的につづいている恐れ、から生じているのではないか。と 考えるようになった。日本人のほとんどすべての知識は「大陸と朝鮮半島」からの輸入 であり、「生半可な日本語言語訳」を通して知られ、近代になって「西欧」からの輸入 に頼ってきている。 アジア太平洋戦争敗戦直後、「『教え』が言語化されていない、つまり聖書が存在しない宗教 『神道』は、『宗教とは呼べない』」と占領軍によって判定され布教を禁止された、 事実がある。以来、日本中の神社は衰えた。日本語人と英語人の「ことば」に対する 「考え方の差」を分かりやすく現わしている、と感じる。現代でも驚くことがある。 「ほとんどの日本人」と「国」の間の重要な契約書である「年金受給の承認」通知書名 は社会保険庁長官ではなく「下級官吏である『課長個人名』」である。 外国語教育においては、日本政府保証つきの「英語規格」がないのは「英語の根本原理 をまだ保証できるほど把握していない」という心の奥底の秘密があるのだろう、と思う。 教育テレビの最新の英語講座では「英語の原理は(ことばで考えるよりは)むしろ イメージだ」という シリーズが放送され(全国学校への出張講座も)展開されている。 今日、世界中(国家・社会・経済)の基幹機能を、根本的に支えているのは「コンピュー タ」である事は全くの事実であり。その基本機能(オペレーティング システム OperatingSystem)が、英語世界から考案された事実、英語によって設計された事実、 その設計言語は英語から作られている事実。これらを考えた場合。「現代までの英語の 原理がとても科学に符合している」という事実を未だ感じられない、日本語人の 「思考感性は相当に薄い」と思えます。
● 「DOS(DiskOperatingSystem)」を考案した技術者は「理想」を外部に置くことにして 「固定した実システム」から解放した。固定した実シ ステムは外部から常に最新の改善 された「理想」を読み込んでその管理下で働く。次にその考案を買い取ったビル・ゲイ ツは「理想を言語でどのように記述するか」を考えた。人間世界の「可逆と不可逆」 「親愛と不信」「教育と貧困」「成功と失敗」などであっただろう。名門大学を中退 して挑戦した彼の展望(Vision)は、結局、歴史世界を生み出してきた「言語」という システムがどのように人間を育てたか、に到ったと私は思う。言語が、脳の「無の状態」 から「思考回路が立ち上がる」キッカケを与える、という「その初動」動作から目を離せ なかった だろう。当初のイニシャルプログラムローダーは単純だっただろうけれど(日本 語という言語がもっているイニシャルプログラムローダーは このレベル、つまり意識を 喚起するだけ)。扱う世界をどのように分割して設計するか、というオペレーティング システム(OS)段階で、母語の偉大さから根本原理を学んだ。「英語という言語」が 「どのように脳の言語回路を統制しているかを採用した、と思う。 なぜなら、英語では、おそらく「系列」「順列」「補完」「統制」「論理性」「無矛盾」 などが対立せずに成立している、からだ。人間が思い巡らす全宇宙の「科学も非科学も 連結して包含できる」表現資産としての論理性をそなえている、からだ。 「完璧な幸せ」をあらゆる異なる人に実感させてくれる、可能性がある(英語を正しく 教えられれば)。私が最終的に親近感をますます抱いてしまう英語からは「英語人は 日本語人の2倍も複雑な脳活動をしている」という哲学的な根拠を見出せる。 現在のWindowsOSのイニシャルプログラムローダーも英語原理に符号したようになって きている(つまり意識の喚起だけでなく誘導も採用されてきた)。
● 昨日、テレビで「腹話術師」は「脳がデュアルシステム」になっていて「同時に2系統の 思考が働いている」という実験立証のシーンがありました(一般人は一つの思考しか できない)。英語の原理はこのデュアルシステムが「一般的なもの」として組み込まれ ており、習慣化されているために負荷なく、一般的な人びとの日常会話でさえも (日本語からみれば)「とても複雑な思考」が簡単な心理チャンネルを通して伝達され ている。 私は「日本語を外国から学んだ」という少年期を過している。つまり、中学時代から 自作の短波ラジオで、「米英ロ中などの各国」からの日本語放送を聴いて育った。 当時は世界の有り様を知るために受信していたのだが。今では「あの時に無意識ながら、 言葉の使い方、使い道を教えられていたんだ」と考えるようになった。よくしゃべり、 よく考える青少年時代ではあったが、何よりも付き合い時間が多かったのは海外からの 短波放送でありました。「意思と計画をもった人格から言葉が出てくる、のだ」と感じて いた。「ことば」とは、そういうものだ。つまり、積極的であり得る人生は、言葉に よって支えられている、というのは私のばあい真実だ。 その延長上で最後に「英語の原理」を独自に追求せざるを得なくなった。それは「素直な 日本語人としての私の正直な願望」であった。やっと今、日本語で表現されたあいまいな 幸福感に比べ、英語が伝えてくる「幸福感」にはリアリティ(話者の存在感と共有できる 現実感)が 圧倒的に強い、ということが感じられるようになったのと、論理的にも 解明できてきたので、はっきりと日本語の劣勢を認めるのであります。それは母語を大切 に育ててきた英語人への尊敬の気持ちである。
● 私が感じている内容は。 英語人の「幸せ」は「しくみを理解できること」であり、課題や問題をかかえている ことには影響されない。(しくみが解かれば挑戦する自信を 持てる)。 日本語人の「幸せ」は「しくみが理解できなく」ても、課題や問題をかかえこまない こと、である。(しかしそういう現実は存在しないから自信を保てない)。 英文法が占有する優勢は「緻密から粗野まで全英語世界」のおそらく「10〜25%」で あろう、と推測できる。なのに、なぜ。コミュニケーション(存在の交流を図る)が 成立するかと言えば。「全宇宙と地上と精神の内面」を観察・察知する人間の 「人間性の本性」を母港として人生を航海している、という共通の言語母船に、 乗船している、からだ。というのは恐らく正しい推理だと思う。 私は「日本の若ものたちが、文明開化の明治維新のような激変を、体験していて さまざまに人生を選択している」のを感じている。皆の多くの悩みは「日本語の(封建的) 文化構造」が原因にある。政治と制度が主導する「盲目的日本」の世界に誘引されずに、 自分の真剣な判断を信じて、人生と個性を大切に形成していって欲しい。そのように いくらかの信号もとどけている。 昨年から、聾唖の人びとにとっての言語、について参考し始めている。(インターネット 上で)興味を引かれる点は、「アメリカ手話」も「日本の手話」も、当人たちは「手話 には独立した思考言語としての品位が備わっている」と考えている。「ろう」の人びと から学ぶことは、私自身の「英語解析」に助力となるでしょう。
● 先月、教育審議会が、学校教育に「英語の早期教育」を取り入れる、と結論した。 しかし、当研究所の判断では、今のままの「日本の文部科学省」の「英語理解」を徹底 させることは、まったくの「逆効果」であり。それに対して、後でしなければならない 「矯正教育をさらに 困難にする」ことになるでしょう。 本当は「哲学」を教育にとり入れた方が、英語教育への「早道」のように思います。 現実は「結果」であるということを理解しなければならない、からである。 そして。英語の原理内には「神」が存在しない、からこそ、唯一神世界でも流通できて いると思います。英語は「聖書」については触れていますが、言葉の解釈を「神」に ゆだねてはいません。人の思考である「言語」こそが全宇宙の「総体」であって、その 思考が「守り神」を発見させるのだ。だから「ことばは神の下で平等に取り扱われ なければならない」という洗練されたセンスをもっている。だから、英語は積極的に 他の言語とも接触をもちたがる。
● 冒頭で、@日本の行政は「タテ割り」で「他省庁/他部局」間の横断した調整は 「無い」。 しかし、A日本語は「言葉の系列」という整理が「無い」。と書きました。 人間の思考が実現するためには「言語段階あるいは現実段階」で、物事についての、 「矛盾の解消」と「要・不要の整理」が行われなければならない。 英語人の世界では「言語」の段階で処理されている、のに対して。日本語人の世界では 「現実段階」で処理されている。ということです。 日本および封建社会がもっている根本的特異性が、どのように制度に現われているか、 を言いたかったのです。
● 言語が発達した国を文明社会といいますが、そのような社会ではコミュニケーション段階 で「矛盾や整理」が解消される、ので。国の制度から害毒が人民に向かって逆流すること が、少ない、のではないでしょうか。これは歴史研究家にお任せしましょう。]
(2008.2.4. 西尾文化研究所発) お読み下さってありがとうございました。
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(内容の転用/流用を禁じます) H20.2.4.
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平成19年11月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・情報を伝える 主な手段が「インターネット」だという時代では。情報は「電磁波」の伝導速度 相当で地球を巡っている。しかし、「前時代的手段」に頼っている田舎社会では 情報が伝わるスピードはどれ位でしょうか。 当研究所の新聞のここで(
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)ご覧いただけるように、 4年前に、私が始めた「ボディランゲージBodyLanguage」による通信実験の一部 が結論をみせている。ひとつの結論が出たとすれば興味がおありでしょう。 ●今日も街中をローラーブレードで3時間巡りました。地方のこの小さな市中を 経由して10万人が生活する田園工場地帯が裾野に広がっています。 今では子持ちの若いママたちの一部の仲間のあいだでは。私を見かけると 「幸せになれる」という噂まである、そうです。 しかし、4年前に滑り始めた時には。いろんな人間から、「人目に見えない所で滑れ!」 「バカやろう!」「得意になってんじゃねえぞ!」などと叫ばれました。でも。 私は、街へ出てきた子どもたちにとって、「飽きない町」「話題のある町」 「目を奪われるものがある町」、にしたい、と思って続けています。 ●日本では、田舎は噂が広まるのは速い、とばかり思わされていましたが。 強い反応があったにもかかわらず「口コミ」の成果が見られなかった、のです。 「感情反応と二次行動(探求)との間」の脈絡が薄弱であるように思えました。 正体知れずの怪しいよそ者、が、怪しくない地元の人、として見なされるまでに 「丸4年間」が必要でした。 1年間の人口増加が千人というスピードの人間社会の文化の中での、「ヒト情報」は、 予期したよりもはるかに遅い伝導速度で伝わりました。 いまでは、田舎の人々の心も変わって、私を認めている、ようです。 子どもから大人まで多くの人びとが私に興味がある、ようです。 ●住民間で情報が共有されていない、と私が感じている背景には、日頃のこのような 結果や、町の歴史などで私のほうが旧来からの住民よりも詳しい、などの 体験があります。この、伝導センスが低い、言わば「情報の非連続性」が、かつて のような「突発(に見えた)事件」の発生を防げなかったことと、関係がある、 と思います。つまり、全国に知られた、「中学生長期いじめ自殺事件」 「高校生長期ストーカー殺人事件」「教師の長期変態事件」 「警察官長期ストーカー自殺事件」などを、「情報の共有」で防げた、 かもしれないと思う。 ●---(冒頭に付記しました)私の研究所の新聞のなかの記事(2003年6月23日)に、 「町でローラースケートをなぜしているか」を書いてあります。(
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)お読みください---。 私はなぜ「ボディランゲージBodyLanguage」を採りいれたのでしょうか。 田舎では「言語による情報」は「信頼醸成に役立たない」と結論(5年前までの 5年間の実践的試行の結果)したのです。そして、「視覚コミュニケーションでの 働きかけ」として採りいれたのです。いま裏付けられつつある結果から、 私のライフワークのテーマの一つ「田舎はなぜ田舎のままなのか」の答えの一部に 「コミュニケーション文化」の歪(いびつ)な発達が関係している、とすることに 無理はないと思います。 ●以上の事柄は、私の二つ目のテーマ「なぜ日本の英語教育が進展しないのか」 とは、無関係と思っていたが。この5年の間に「奇妙な類似」を見るようになりました。 つまり。先述の新聞記事の文中に書いた。、、「選手だろうか」 「どこまで行くのだろう」「孤独だろう」「職が無いのだろう」、、。という想いで 私を見る(やがて自分が間違っていたと気づくのだが)目撃者自身が、 「そのように自分は眺めている」と意識していない、だろう事。 他方、英語教育では日本人自身は「空は広い空間だ」という想いで見るが (やがて自分が間違っていたと気づくのだが)目撃者自身が「英語では空の 特徴部分を指している」とは意識していない、だろう事。おそらく、 日本人全体は共通して「自分の今の意識」を意識していない、だろうという事。 ●いくつも見つかってくる奇妙な類似は、日本語人の習性と、日本語の特異性と、を 際立たせる結果になりました。「(自分が)理解したかのように(自分に)理解させたい」 というご都合主義によって、二次行動(探求)が妨げられる、という文化が「日本文化」 の傾向ではないか。「分からなくても尋ねない」=「情報の非連続性」が根強い のではないのか。 ●そして極めつけは「日本語」には「自分を見ている」という「日常(単)語が無い」 という事実に当るのです。その結果、日本語で解釈した英語教育は、英語言語から 「かなり異なった視点」で「英語像」を描いている。そこから「2つの言語像」と 「2つの民族像」を解説し得るでしょう。 ●互いの間に矛盾を持ちながら「2つの要素」が両立している、自然科学的な構造には 珍しくない、「入れ子関係」が言語関係にもある、ように思います。 「蛇が自分の尻尾を呑み込む」ような不思議な現象が、言語で起こっているのに 他に影響をおよぼしていないために自然なことである可能性がある。同様に、 英語人も自分の言語に対する不認識に気づいていない可能性がある。 認識と意識は「錯覚の入れ子関係」だからだ。] (2007.11.29. 西尾文化研究所発)
お読み下さってありがとうございました。
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(内容の転用/流用を禁じます) H19.11.29.
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平成19年10月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・ 今年もいよいよ残りを数えたほうが早い時期になりました。 先日、私の大学時代のクラブへメールする機会がありました。 ひさしぶりに昔を想いだして、近況と共に書いたので。私の研究所がどんな方位への展望を広げてきたかも少しご紹介できる、と思います。日本はどれほど変わったか変わるのかという副題をつけてもいいかも知れません。 --------------------------------- 外研OB役員さまへ: 大変おひさしぶりです。ただいまメールを拝見しました。 振り返って書きます。すこし長くなっています。おゆるし下さい。止むをえないこととしてご理解ください。 わたしは弟と年令が離れているために。一人子のように成長し、どんなものも「自分に相対する」ものとして外界を見つめてきました。 だから、性質的には「不器用」でありながら、半面「早熟な」中学生として。すでに2年生からは各国の放送から、世界の情報を求めるようになっていました。 浪曲や歌謡曲や落語をききながら、「変わらない母国日本人」への落胆を感じていた中学生の「私」です。 成長とは「何か」を探している少年に日本はなにも答えを示せなかったのです。 私のホームページの副題(見えてくる変わらない自分と世界)は、外界への落胆心を表わしたことばですが。それは意欲的な人生が最初に見る窓の外の景色だと思います。 人生の出発点とかかわってくる、外界という「歴史」について最初に学んだ教訓だったのです。「歴史は偶然に用意された舞台ではない」ということを感じとっていた、のだろうと、思い返すと。 「真実」を知るときに「ことば」が果たす役割には圧倒的なものがある、とつくづく思っています。 60才を過ぎた私の研究が「知覚と言語」の原野で行われているのは偶然ではありません。歴史は偶然ではないという点を逆手にとって。外界に影響をいくらかでも生み出して歴史を変えようと、している「私という少年」の挑戦であります。 ま新しい日に満たされていたい私の心境が、ほかの方にどれだけ想像されるものか分かりませんが。自由な研究心は「前方だけ」を向いていたがります。そのための私の人生のエレメント@知A財B力C情 D展、のバランスを維持しつづけること、は容易ではありません。 この5点は大学時代に選抜した要素です。そのおかげで私は芸術学部の仲間から非常に要領よく、学ぶべき良い点を見逃さなかったし。人生の最も若々しく健康的な歴史の舞台にふれることができました。 これを振り返ることは、後方に心理を向けてしまうことになります。ここで回帰して書くこと自体はエレメントを侵すことはないのですが。時間が私にその余裕をくれません。ただいま私の研究では、白紙の「言語野」にかなりの量の神経線を引いていまして非常に挑戦的に成功している最中であります。日英の「言語機能の明暗」をテーマにした論点から眼をはなせないのです。 海外研究会にいて助けられていなかったら、人生に満足した私はいないでしょう。一人子のように生きていた私には「外界」しかなかったのに、海外研究会には、「一本の映画に登場する俳優たちのようにさまざまな人びとがいて」、みんな率直なところが魅力的で、私にはいつも何らかの救いになった。 おそらく無意識に救いになった想い出もある。人生にはもともと緊迫が含まれていることを忘れてはならない、という教訓も学んだ。前日いつもどおりに清々しく部室を去った後輩が、健康のまま急死した、というのだ。私は自分のこれからの人生の時間の半分が裂けて消える幻想を見た。 (半歩でも多く今日のうちに歩いておこう、と決心したのでした)。 ドライな私の中に人間的なところがあるなら。それは「外研」での数年の青春期のおかげです。田舎者の私を快く受け入れてくれた、あの「陽気で朗らかな雰囲気」をいまでも自慢げに隠しもっています。 宇宙ロケットが何回かの推進エンジンの爆発で推進するように。私の人生の爆発点のひとつが「日本大学芸術学部海外研究会」であったことが幸運でありました。 皆さんありがとうございました。 幹事役員のみなさんありがとうございました。 昔から今日まで本当に長く幹事の役割を果たされている事を承知しております。 皆さんを代表して私からもお礼申し上げます。] (2007.10.11. 西尾文化研究所発)
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平成19年9月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・ 西尾文化研究所です。久しぶりのメールをさし上げます。 私は思っている。人生が有意義になるものの一つは、「美しいものとは 何か」への自分の答えに、近づくこと。そして、日本語では私のそれは 叶わないらしい、ということが分かってきた。 私にとっての「美しいもの」は孤独な単一なものではなく、他の何かと 組み合わされて発現されるもの、らしいからだ。 もっと言ってしまえば、外界のものと内面のものとが互いに不可欠に 結びついた、と感じたときに。これが探していたもの、だ、と喜んでい る自分に気づける言語、でなければならない。 だから生活回りの偶然の遭遇へもアンテナを向けるのも忘れない。 でも、社会は今しばらくの間、確率の低い時期がつづく。 たとえば映画ビデオ作品についていえば。 専門員が減って店員は「美しいもの」へのアドバイザーでは、もう、 ないし。一般的に買い手は「美しいもの」を一番に欲しいわけではない。 レコード、ラジオ、テレビジョンなど。人間が考え出したメディアは いつも、美しいものを伝えたい、という情熱が込められて生み出された。 「自由への憧れ」がそう向かわせていたように思う。 中世16世紀ルネサンス期には「自由に考える」ことを復活させた。 20世紀の幾つもの革命と戦争は「自由な社会」を増やし。 21世紀に入ったばかりの今は「自由に通信」している。 人類社会は急速に進化し始めている。 プログラム言語は人と創造物の間を親和させる威力を発揮し始めた。 「表現メディア」にも革命が起きて無数の作品が生活周辺にあふれている。 その影響で私がここで言うような「美しい作品」が気づかれずに古く なって放出されてしまう。私が最後の視聴者になってしまった、のだ。 20世紀最高と呼ばれた実在のチェリストであったらしい、ジャクリーヌ・ デュ・プレの物語、とは知らずに、ビデオショップで払下げの「100円 放出作品」を買いました。この棚を月に一度見に来るのです。 新しい陳列の中に「美しい」というコーナーがあればもっと来るはずなのに。 そのコーナーが永久に陳列される特別コーナーであればなおイイのに、と、 このビデオを見た後に思いました。 芸術家は、美しさを生むことに、賭けてるし。評論家は美しさに自由を 与えようと、大衆に向かって努力している。なのに、商売(commercial)の 世界では、アーチストも評論家も陳列物だから、大声を上げられない。 著作権の次に品質を声高に叫ぶ「美しさの保証人」制度を私は期待している。 私のように「幸せの確率」が上がることを望んでいる研究者には、 「美しいもの」は仮説という方程式を編み出す誘導系としてとても役立つ。 自由と、美しいものと、の間には何らかの法則があるのは間違いない。 今とても幸せを感じている理由は、英語について私が独自に構築した 機能構造を、この映画が映像言語を使って、同じように語っていた、からだ。 いままで英文を通して私が脳内で見ていた話者の世界を、この映画の 全スタッフは映画づくりを通して同じようになぞっている。 自分の研究はほんとうに美しいものだと感じているが。1960年代にタイで 生れたこの若い監督が同じ眼をもっていて、まるで私の研究を映画にして くれていて作品の美しさが、常々の私の感情を裏付けてくれている。 英語がリニアでモーダルも兼ね備えている言語だからこそ、(それを母語として いる製作者たちが)描け得た 「美しさ」をこの映画はもたされている。 研究が美しく見えるのは英語という「この言語が美しい」からだと思う。 「真実は証明される以前から存在している」からだ。 (*言語間に優劣は存在しない、という説もあるようですが。言語が人間を 幸せにする道具であるならばより愛されている言語はより人びとを幸せに している、と言える、のではないだろうか)。 英語がなぜ地球上の人びとを魅了し拡大しつづけているのか。それは、中世 に「消えた神」から役割を継承して、人間の自由を守る神として人のあらゆ る要望に応えられる機能をもった「言語」だから、であって。 それを追認させたように。精神の美しさが完璧に語られた証拠品(としての 映画作品)を、また一つ見つけたのでした。 昨日は、人生にそう幾つもやってこない大切な、そういう、一日でした。 9月は、「まぐまぐ」事務局から「(滞っている)発行」を再開するように 促されていましたので。読者の皆さんへ何か新しい話題をのせてメールを さし上げようしていた矢先の「幸運との遭遇」でした。 ==== ==== ==== *【鑑賞しようとなさる方の便宜のために下記に詳しい紹介をします】。 原作本の一部にSexシーンがあるのか知りませんが高い評価を受けている 他方で青少年要注意とガイドされている、らしい作品です。 ---20世紀最高と呼ばれた実在のチェリストである「ジャクリーヌ・デュ ・プレ」自身、天才音楽家としての彼女、第二の運命との出会い、、が 描かれている。--- 1998年イギリス映画。アカデミー賞ノミネート作品。 日本語タイトル2000年『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』。 映画原題『HILARY AND JACKIE』(120分). 妹ジャクリーヌ・デュ・プレ役:EMILY WATSON. 姉ヒラリー・デュ・プレ役:RACHEL GRIFFITHS. 製作:ANDY PATERSON & NICOLAS KENT. 原作本:HILARY AND PIERS DU PRE著「A GENIUS OF THE FAMILY」. 脚本:FRANK COTTRELL BOYCE(フランク・コトレル・ボイス). 監督:ANAND TUCKER(アナンド・タッカー). 編集:MARTIN WALSH. 音楽:バリントン・フェロング. INTERMEDIA FILMS and FILM FOUR with the participation of BRITISH SCREEN and THE ARTS COUNCIL OF ENGLAND present an OXFORD FILM FILM COMPANY PRODAUCTION. ビデオ配給提供:日本ヘラルド映画社。 -------- 研究がひと段落したので今年は5年ぶりの休養のつもりでしたが。次の段階 の着想が自然に浮かんできてし まうので、つい手をつけてしまっている毎日 です。だから、このメールマガジンは不定期になりがちですが 続けますので ご愛読ください。 (英語母語の専門家も万能言語としての具体的ビジョンをまだもっていない ように、印象づけられるシーンが、気になる今日このごろです、、(もちろん 私なりにはあるのですが)。 お読み下さってありがとうございました。]
(2007.9.16. 西尾文化研究所発)
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平成19年3月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・ 読者のみなさまへ:西尾文化研究所です。 無料メールマガジン「
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」を お読みくださっていてありがとうございます。 前回から、もう6ヶ月目が過ぎようとしています。 「まぐまぐ発行事務局」から 廃刊扱いになるので「3月中に」 「発行」するように、促されました。 ひとまず。 このメールを発行する、ことで。 同様の懸念をお持ちいただいている皆さまに 「廃刊ではない」ことを お知らせいたします。 今後とも、お読みくださるように お願いもうしあげます。 ---(近況報告)-- <研究所は、特定の団体や思想に無縁で 自立しています>の で、自由に研究をおこなっています。 「しかし」時間的には、、といいますか。 「だからこそ」とも、、いえるのですが。 研究本位に「作業時間」を割り当てています。 未発行ですが、時折の原稿も忘れずに書いてきました。 あたらしい視点を心がけているマガジンですが、 日本について語ることに私自身が新しさを感じなくなってきたこ とも関係していて。 ついに発行に気が向きませんでした。 長い事前の懐疑と、直近の5年間の集中研究のテーマは、 <言語と日本語人>です。昨年を予定通りにこの研究の最終年にする ために、無理のない結論におとしこめるように、すこしゆったり と贅沢に時間をつかいました。 マガジンがその余波を受けました。 研究結果は予想以上のもので。 現代を代表している言語、としての「英語」を「機能100%」とし て比較しますと。 「日本語」は、おそらく「機能40〜60%」の価値しかない言語と、 いう結論になりました。 懐中時計ほどの、想像をはるかに超える、精密さが「英語の原理 のなかにある」ことの方が、新事実として見えるのです。 大学で「西洋演劇史」の授業で恩師である英文学者(シェイクスピ ア研究と演劇で実績もある)のN先生が「演劇にかぎらずできるだ け英語の原書(の英語)を見なさい」と、言われました。当時おそ らく70才超えておられたと、思います。わたしは60才超えた今に なって、私流にその意味が分かりました。 私は、自分の研究結果が「まちがっている」ことを願っています。 そうでなければ「日本語人の片目は盲目」に等しい、という事 実に当たってしまうからです。 いまのところ、私の視野の中に「私を否定してくれる書籍も、Web サイトも」、見当たりません。 (総理大臣が「美しい国」「自主独立」「敬語の種類を増やす」 などと、言い始めたのを知ると。残った片目も覆うのか、と恐ろ しくなる)。 どの言語人種にも当然のことですが。 日本語人は「自分の分かる英語しか」学べていない。 日本語機能の「優性/劣性」しだいで、世界の文化は「劣化」さ れて輸入される。 ほんとうであろう英語に「触れ始めたばかり」の私のように、日 本製の英和辞書、日本人が書いた英語、を禁書のように遠ざけは じめた、のは、わたしだけではない、と思います。 (2007.3.6. 西尾文化研究所発)
* 片目盲目、と書きましたが。その影響の面から表現するなら「両目色盲」となりもっと辛辣に思います。
* たとえば。日本語で美しいとされる表現ほど、英語の原理に真っ向から逆らうことになります。幼児・青少年にできるだけ飾らない日本語を教えてあげることがよいと思います。英語をつかう時に単語の組み合わせが言語らしくなる、と思います。
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平成18年9月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・ 昔に比べ。「養子」がなくなった日本。「住込み家政婦」、「お手伝いさん」 、がいなくなった日本。 他人を家庭へ入れなくなった日本人。明治〜大正〜昭和敗戦、までは、 そうではなかった。そういうことを、知らせたくて、男性は知性派 映画監督が、女性は向田邦子のような脚本家が、日本を描いてきた。 敗戦までは、今のような日本人ではない、つまり、欧米と同じ文明/文化的 スタイルを歩んでいた、が。戦後の日本官僚による国の建て直しは、いわば 「擬装建築」によって建った日本国を見せつけられる、ものとなった。 他の人種との間の緊張は、つねに、どの国においてもあるが。同じ人種間 (つまり社会)で緊張が起こるのは野蛮に等しい。 戦後の官僚指導層が描いた日本人の暮らしとは、(本来、国家間競争のもので ある)資本主義を、国内の階層間へ利用したものであった、考えられる。 それらの悪影響が現れていることを、好んで描いているのが(戦後派と呼べる だろう)橋田寿賀子のような脚本家や男女問題を書く女性作家だろう。最近、 受賞している若い男性作家なども戦後派と呼べるだろう。戦後の弊害を利用 して生きる個人の知恵だろうと思う。 戦後型つまり「利用された資本主義」は、現代までに、地方官僚が応用するに 至り。今日にある。資本主義が悪いのではない。戦中の軍隊のように、 資本主義を国内で利用した、官僚と指導者が、悪いのである。昨今で言えば、 税金の債務者は支払ったのに、役人が横領し、上層役人は逃げている、 のである。(*国内の資本主義は「便宜を図る」という競争をいうのである)。 さらに日本の「法」がゆるいのである。これは人種に「主観ひとつ」しかなく、 三権を「分立できない」という宿命からきている。 資本主義の伝道者である欧米が怒ったのも無理がない。資本主義は国民に向け て使ってはいけない「秘密の剣」なのだ。日本の「武士道精神」を尊敬して いた欧米人が、戦後、日本国民をかわいそうに思い、資本主義を悪用した日本 政府を信じていない、のは。明治・大正時代の日本人を尊敬し愛している名残り があるからだ。 国家間競争は発明の競争のようなもので。主義も、弁論も、学問も、商品も、 サービスも、そのための発明品として利用され、他人種にも「良いもの」は 他国においても採用されてゆくのである。日本が採用した資本主義のように。 そして、「芳しくない」ものは不採用になるのである。中国が不採用にしよう としている官僚的社会主義のように。 地方にも広がった、「秘密の剣」の悪用、は。剣が悪いのではない。「本来の 日本人がもっていた良識」を教育できなかった地方の指導者の家系の教育の 歪み、が原因なのである。毎年産まれる数千万人の新生人が自立した判断力を 身につけるような世界になるまでは、指導層は世界中のどの社会にも必要な、 つねに存在する人々だといえる。 この指導層が自立した判断力を満足に教育されない、社会が、到来している。 とすれば、大変に蝕まれていることになる。 「楽しむ」ことと、「向上する」ことと、を同時に出来ない。という不幸を 日本人種は自力で乗り越えなければならない、と思う。他国はよその母国語を 改良しようなどと考えてはくれない。15世紀に表音文字を採用して自ら 「ハングル文字」を発明し、自立の運命を目指した朝鮮半島の歴史を思い、ハングル文字 を「hang(le) there=頑張れ 」と勝手に読みかえて思う。ユネスコが人類に 価値があるとした永久知恵遺産「世界の記憶」に認定されて世界に公開されて いる。他に東アジアからは中国の文献が登録されている。日本のものはまだ無い。 二つを追うことを戒めた、ことわざが、日本には多くある。2つともダメになる、 という。 今も考え未来も考える。多角的に考え、多目標に対策を立てる、ことができな ければ、受注ばかりで発注することのない企業のようになってしまう。おそらく 自動車産業の王国はそのような骨格ではないかと想像する。立案によって自立す る、専業が他にもある、そのような戦略で世界の現状を生きる。そういう能力は、 日本国にとっても、(国民ではなく)個人にとっても、めざしたい方向だ。 世界で最も労働量が多いGDP(実労働量)の日本、であるが。その国の通貨円は、 世界で貯蓄されている率(外貨準備金)が「5%割れ」にすぎない。アメリカドル66%、 ヨーロッパユーロ24%、イギリスポンド12%。 戦後派の脚本家や作家が描いているような、場面は、「資本主義の国」ではない。 資本主義の国は、国の将来を信じられない緊張から、国内の人々が争う、ことは ない。「国内で人々が争っている国」は、資本主義の精神が国民の精神を、 うるおわせていない、という国である、という証拠だといえる。 資本主義の精神が正しく教育されていれば。国内の人々の貧富に関係なく、 人々の人生はつねに潤う。なぜなら。誰にでも機会が均等にあり、人格と能力 を磨き、なりたい自分になれる。そういう「精神的保証」が人々の間に担保され ている、からだ。だから、「ねたみ」「嫉妬」「復讐」「暴発」といった主観的 野蛮を、他人の尊厳を危めるそうした行為を、「保証を破壊する者」と見なす。 普段から異常がみられて異常が暴発するのは、道理がとおっている。 正常な行動である。(英語では、原因となった、無理のない理由・原因は何か、 Whyという)。 普段から正常にみられて異常が暴発するのは、道理がとおっていない。異常な 行動である。(日本の社会にみられるこの現象は英語では該当する語がない)。 ここに日本人種一般(とごく一部の欧米人)の特質がある。 人種とは、ある言語を母国語とする共通の人々、である。 日本語の賞味期限は、日本人の賞味期限でもある、わけだが。 日本は経済的自立からきた自信によって「欧米文化軽視」が始まっており。 これまで日本にかぶさっていた重い「欧米の精神文化のフタ」がとれ始めている。 私が懸念しているのは、日本語がもっている欠陥が、社会の表面に現れ始めてき た、のではないか。ということである。 これまで。日本語からくる避けがたい「主観的」ビュー(view。広い世界の一部 を見ている、を指している)は、流入する欧米文化の影響で、中和されていたが。 流入の副産物として発生した日本語軽視が、(かろうじて保たれていた戦前 日本人の日本語の)論理性を消失させた。 ここをついて、日本人の「主観だけによる行動」が表面にあらわれて来ている、 のではないだろう、か。 いまは帰国子女がもたらす新しい、欧米型論理性と日本語ことばが、軟弱な地盤 を形成しつつある時代だ。 日本人種が本来もっている向上心を成長させてきた100年間を無視して。古文を 復活させる、というような根本的に未来への視野をもたない、考えが、次の時代 の日本人を襲うことのないように、願うばかりだ。 欧米文化や資本主義を採用したからといって、日本人が日本人種でなくなる、と いうわけではない。日本が1000年かけて磨いてきた、「主観のみ」によって世界 をとらえる、日本語がもつ、「主観」は、欧米の主観とは別のものであり、 「欧米に無い」ものだ、と思われる。「我を知って、欧米も知る」という言葉に して私が保とうとしている考えは、「歴史が日本人種をつくるのではない。 自分を知る日本人が日本人種をつくってゆく」のだ、ということだ。 広い屋敷をもつようになった日本人のお金持ちの、一体どれだけの人々が、 何人の「お手伝いさん」と一緒に暮しているだろうか。他人を信用できない お金持ちが多いのではないか。それに象徴されるように、日本人は警戒されて いるのである。 もちろん、今はその方が安全かもしれない。ここに至っては、「子どもたちの 自主的な判断による自立」を念頭においた、ほんとうの教育が復元するまで、 何世代かを待たなければならない、からだ。 当分の間、つまり日本版モンロー主義(アメリカの資本主義形成での孤立時代)の 間、国内の「さまざまの2極化」は避けられないのか。] (2006.9.5. 西尾文化研究所発)
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平成18年7月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・先々月、「NHK教育-TV」で下記の番組が放送されました。テレビガイドに紹介された内容
*******************ETV特集 2006年5月20日 22:00〜23:30「ある地域医療の”挫折”」。北海道・過疎の町で診療所医師が辞任▽町長との対立▽住民の不安▽平成の大合併の陰で起きた先進地域医療の危機◇政府が推し進めてきた「平成の大合併」。北海道の南西部では昨年9月に北桧山町、瀬棚町、大成町が合併し「せたな町」が誕生した。だが、この合併に伴って思わぬ事態が起きている。地域医療の”崩壊”に揺れる、せたな町の現状をリポートする。旧瀬棚町は予防医療に力を入れ、地域医療の先進例として全国的に注目されてきた。ところが合併で誕生した、せたな町はこうした医療の打ち切りを表明。これにより、これまで地域医療を支えてきた医師や看護師らの大量退職を招いた。
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ここから今日の本題です。実は、ちょうど「3年前」に、この診療所へメールをさし上げました。 それ以降、メールの内容が、診療所のホームページに掲載されました。
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(荻野吟子記念瀬棚町国民健康保険医科診療所2003.6.)
地域医療の仲間達
「 1 通のメール」 地域医療の輪 特別編
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先日、管理者宛へ1通のメールが届きました。内容を以下にご紹介いたします。 地域医療というものは、そこに住んでいる方たちが触れる医療すべてを言い、人口の 多い少ないはあまり関係が無いように思えてきます。また、その地域の伝統や文化を 感じ、溶け込み、時には改革し、新しい文化や伝統を住民と一緒に作っていくことが 大切だと教えて頂きました。
そして、これらの意思は、遠い昔先人が一人で切り開いてくれた道を次々と受け継い だ方たちにより現代まで続いているのだと思います。医学ではない、地域の医療を改 めて考えさせられたメールでした。
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はじめて、メールをさしあげます。
インターネット検索結果の中に、偶然「荻野吟子」女史の名前を見つけました。 「僻地医療へ旅立った」までは知っていましたが、その後については、よく知りませ んでした。
ちゃんと足跡、というか継続というか、理想が今も実践され、途上にあるんですね。 遠くから応援しています。
みなさん、がんばって下さい。(みなさんご自身もお身体を大事になさってくださ い)
愛知県西尾市の市民より。(西尾市出身の高橋瑞子は日本の女医3号です)。 彼女は人生を医療につくしました。
(郊外の大半は、昔ながらの田園風景ですが、残念ながら後に、地元は、日本中の話 題になってしまった中学生いじめ自殺事件「大河内清輝君事件」が起きてしまいまし た。
昔と違って、大企業の工場が立地して巨大な社宅もでき、転入した新住民も増え、学 校教育や生徒の交際環境も随分かわってしまったようです。保守的な地方と、都市化 の波に加えて日本人の文化のスタンダードがあいまいになったことで、青少年へのス トレスが強くなっているように感じます。古い町村が合併した市でここ10年間に1万 人が増え人口が10万になったばかりです)。
(さらに、数年後には同じ校区内で、やはり全国で話題になった、中退男子生による 「女子高生ストーカー殺人事件」が起きてしまいました。「何もなかった事にしよ う」というような態度としか思えないほど地元では反応が起きていません。中途半端 な都市化は田舎の人間を中途半端な日本人にしているように感じます。
30年ほど昔アメリカに滞在したとき世話してくださった移民1世の日本人年配者が、 黒人について、「白人の血が少し混じった黒人の方が質が悪い」と評していました。 自分たちを差別化する優越した意識によって他人に無関心になる、という弊害を指し たのだと思います)。
土地の立派な伝統というものが、いかに後継者の肩にかかっているか、ということ考 えさせられました。
あなた方の診療所のホームページを拝見し、同時に、この地の伝統にも思いをはせま した。
愛知県に帰って就いた教員職の母体が医科大学だったので、毎日の外来が数千人とい う大学病院も目にし、医師・看護士・検査技師・放射線技師などの学校もありまし た。私は医療系ではないので別の視点でながめてしまいます。
広告代理店や輸入商社やコンピュータ専門学校と職歴をもつ私には、「僻地医療」と いう言葉が実際以上に「大学医療」という言葉の遠い対極にあるように感じてしまい ました。
私の人生と職業観に大きく影響を及ぼしたドラマは「わが人生の途上にあり」という 日本語に脚色されたイギリスの作品でした。
医師のいない炭坑町に赴任して夫婦2人で炭坑夫たちのケアをする青年医師の物語で した。「ひび割れた手に幸せがある。(誰も見向きもしないとしても)素晴らしいこ とは天に書かれてある」のような台詞があったように記憶しています。
荻野吟子(女医1号)、生沢久乃(女医2号)、高橋瑞子(女医3号産婆1号)、 シーボルトの娘イネ(産婆2号)、東京女子医科を設立した吉岡弥生、、。時代を自 分の人生にした人々の伝統が、「瀬棚町医療センター」の方たちにも流れているよう に思います。
人生は時代の空気をいっぱいに吸い込んでふくらむもの、のように思います。みなさ んを遠くから思いそちらの空気をいっぱい吸わせていただきます。私の背骨のどこか に埋まっている「わが人生の途上にあり」に再会した思いがしました。
私は「自己実現とは感動の再現である」という自分のことばを辿って人生を進んでい ますが、今日は、「偶然の感動」に感謝します。
私の次のような理論が実感できました。「遭遇が感情を誘発し時間が起動する」。
私のプロフィールの最終章に「瀬棚町国民健康保険医科診療所」が記憶されることに なりました。
ありがとうございました。
一部省略
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この文章は、こちらのホームページにて公開されています。
西尾文化研究所ホームページ http://www.nishnet.ne.jp/~bunka/
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瀬棚町診療所のみなさんが、たいへんな運営上の課題をかかえ込んでしまったことを、 私は今年の4月に、NHK-TVの夜の全国ニュース、で知っていました。瀬棚で地域医療に励んでいたみなさんは、苦渋の決断を迫られた、と思います。「なにが理想か」という途絶える事のない「歴史的テーマ」は、世界中で、さまざまな単位で、人生とつながっている、ことが痛感されます。
私たちは、その裏返しとして、「幸せの確率」を測量しているのだと思う。
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平成18年5月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・『新しい日本人が求めているものは、日本の記事・番組が流しているような日本語でしょうか(その2)』。★今回は、さらにアクセス数が多い「文字放送」が求められたキーワードの一覧です。西尾文化研究所 『平和国際都市文字放送』(幸せの確率-もっと見えてくる変わらない自分と世界)。2005年初夏から正月にかけて。訪問してくださった人のキ−ワードの95%は日本からですが。西尾文化研究所のページは、どのような日本語で読まれてるのでしょうか。情報を求めて訪問してくださった「キーワード」をご紹介します。現代の生きた「日本語」文化の断片を感じてください。★(語句は順連続させています。空白は作業上のゴミですから意図的な区切りではありません)*転載を禁じます。=====西尾文化研究所「平和国際都市文字放送」(http://www.viasense.nhki.net)が求められた日本語。
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江口工高橋ペーパーデザイン現代のヒンズー教パンテオン神殿 構造自動車業界 トラック バス 世界のシェアアンナ・カレーニア 幸せな家庭出産統計東ゴート王国センターピボット 速度ゲルマン AND 食べ物 AND 紀元前 SOAPとは 医療クラミジアによる合併症国際都市 新宿 外国人 データ運輸業界*対策*防災*2005)(自然災害+地震+台風+豪雨+気象災害)(環境保護+環境保全+自然環境+減収 PHX-2040 クワガタ 矢作川紙おむつ 開発者 高分子吸収剤日本のビール市場 シェア率伊東家の食卓 犬のしつけクリストフ・プランタン HIV 初期症状 白血球の増加ジャコウ牛 香水インテーネット 携帯電話帰化 許可 中国 確率カモノハシの特徴カンボジア 現状 思想ナチュラリープラス source 心理学 確率アクティブムービースエズ運河 通行料 62万豊田章一郎 博子 妻スエズ 通行料卒論 エイズ 母子感染パテック・フィリップ国民年金 京都市 退職アリス・ウォーカー 歌 ワシントンチェコ 人形 学校 留学パンゲア大陸 世界地図 ナトロン湖 世界遺産ビルゲイツについてプラグ かたち 世界 コンセントトリ 鷹 視力 ディズニー アルワリード国の種類世界企業売上ランキングパケットシェーパー植物ウイルス 全種 M104星雲(中国Yahooサイトから日本語パソコンで) トリガープラント法定金利|売掛金ペルー 日系人 精神疾患伊勢湾カップ 97 ベサニーハミルトン...
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=====(2006年5月西尾文化研究所。*転載を禁じます。)
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平成18年3月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・『新しい日本人が求めているものは、日本の記事・番組が流しているような日本語でしょうか(その1)』。西尾文化研究所ホームページ 新聞『Theことばになる前の音と記号』--表現に挑戦する人びとと共に--。2005年初夏から正月にかけて。訪問してくださった人のキ−ワードの95%は日本からですが。西尾文化研究所のページは、どのような日本語で読まれてるのでしょうか。情報を求めて訪問してくださった「キーワード」をご紹介します。現代の生きた「日本語」文化の断片を感じてください。★(語句は順連続させています。空白は作業上のゴミですから意図的な区切りではありません)*転載を禁じます。=====西尾文化研究所ホームページ「新聞」(http://nippon.nhki.net/sinbun)が求められた日本語。
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眺めのいい部屋 曲 ピアノ ルーシー東海大地震被害想定高橋あや子 英語江南市 地名の読み方中越地震(市長の行動)オリバーツイスト 関係図衛星で撮影 識別長者番付 2005 西尾ベサニー・ハミルトン 道徳安城 求人 中国語ナイジェリア+生活+文化+旅行愛知県 尾張旭市 地層過去 地震発生図愛知県 小島町 町内会長瀬戸 エリザベス ザンビア上海 大学地図奥山奈穂子 Across The Universe シエラレオネ 文化法王庁の避妊法 稲森 チラシ NHK PBS BBC 比較尾張旭市 職員 中途採用犬山職安池内智佳子 通訳社会主義 国名リスト那須菜穂子福祉関連事件マレーシア ナイト 称号 日本人 貿易松浦世起子瀬戸職安兵庫県 地図 調べ 中学生 地理 有名人 出身地 柴 武行キャピタルインベストジャパン 関義賊の歴史 パトゥワ語尿の色 オレンジ 妊婦インド ヴァルナ 紋章第一勧業銀行歴代頭取ラン もりべ世界 食事習慣 違い 原因 岐阜県 川辺中学 電話番号早期英語教育 脳の臨界期考えるとは 感じるとはで厚木高校 チアダンス 粟屋忍日本マイクロ 簡易体温計孤児院 世界 統計 イギリス ストループ 生まれ磁気圏 アニメーション法人税の不均一課税 電気プラグ 形状...
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=====(2006年3月西尾文化研究所。*転載を禁じます。)
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平成18年1月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・「他人の姿を借りて喜怒哀楽する日本人」と現実。 理想を、「1つの姿」という形で求める「全体主義」というのは、 (その基準としての)「平均」をどこかに求める訳であり。 全体主義社会として率いられてきた日本もそのようにやってきた。 しかし、経済規制の自由主化が進歩した社会においては、 「二極分化」が進行するので、平均を見つけ難い(不可能)のである。 数量的統計を国民人口数で割って求めるような平均像は、何の意味も 持っていない。 従って、21世紀に入った今日の日本のような国では、1つの共通した 「心理的な理想像」を求め当てるのが無理なのである。NHKの視聴料欠損 や日本映画不振の遠因もここにあると思う。代わって得るべき共通の理想 像は、「責任と保障」を求心力とした「社会契約的な理想像」ということ になるだろう。その上で、各層を流動的に移動する個人が、自分の判断で 「責任」を選び、それに連携された「保障」を心当てにする、という社会 の中で。私たちは、約束された「(社会的な)自由」という「共通の幸福 感」を持てるのである。 今日の全国ニュースのひとつでは、大阪の2公園から居住テントとホーム レス本人たちとを強制撤/退去させる執行を数百人の公務員が行なった、 という。ヒラリー・クリントンは少女期に牧師に貧民街を見せられて弁護士 になる決意をしさらに政治家となっている。公務員や記者の現場主義が衰え ると問題を事前に解決することができない。 国家内の現実が分化する一方で。昨今の、ホリエモン崇拝選挙やライブド ア株疑惑、への態度に見られるように。多数派に自分を重ねて一喜一憂 する姿を見れば国民の側は全体主義を抜け出せていない、と見得る。 分化とは「倫理の多様化」も含んでいるのであるから「騙す」「騙され る」のも単に立場の違いでしかない。 2極化した社会ではこれらは昔から洋の東西を問わず、「義賊」の論理と して発生するのである。騙されない努力を、「洞察力の向上」という自己 教育を通して、行なうのが自分の「個人の責任と保障」を支える幹とな る。 人道的には「国家」も古くさい概念となりつつあるが、日本が新しく提供 しようとしている国家意識は、国民が求める意識との間に隔たりを生んで おり。恐らくそれは埋められないだろう。「1つの姿」を複写して末端ま で配布したい国側も、二極化のためにその原稿に描くべき「1つの姿」が 浮んでこないからだ。 これの遠い原因は日本語にある。この言語には現実的問題の「取扱い・運 用」ができないという致命傷がある。「2つ以上の姿の共存」を思い描け ないという描画力の欠陥がある。 異文化にとても素直になることが出来た「明治時代」という1時期を 除けば、自意識の復活を反映して、日本語は、労働生産的な経済の成長に 援助されて、再び庶民に育てられる遊び道具となった。雑話言語である日 本語は映像音声メディアの発達に乗って国・マスコミ・学生を巻き込んで いる。几帳面な日本語は結局、建て前の論争や受験試験で見られる文化遺 産のようになってしまった。考えを言語で表わすという、真に必要なこと に対して、日本人にはそれを斜に見る態度がある。犬のしつけが悪くても恥 と思わない日本人は、ヨーロッパの犬のしつけが良いことに尊敬をはらわ ない。使い手の心得次第に育つという点では、「犬」も「言語」も同じだ。 昨今のライブドアの堀江社長に対して日本人文化が示した態度は、 「軽率に惚れ/軽率に侮蔑」するというものだった。一本の綱だけに皆が ぶら下がる考え方ではそのようになる。アノ流れがある、と同時に、コノ 流れがある、という考え方があれば、「軽率な自分たち」を「恥じる」と いう反応が即座に湧いた筈であった。 複数の流れを追うという客観的な考え方は、物事を「高級な言語で考える」 うちに身につくものだ。 私たちは外国言語に対しても、失礼の無いように尊重すべきであって。 日本語をもて遊んでいるように、「大人の遊び道具」といった感覚で取扱う べきではない。彼らのは考えた上で口にした言葉だ。テレビで吹き替えられた 、つまり、女は色っぽく男は粗野に聞こえる、輸入ドラマは日本人に合う ように、日本人口調に吹き替えられた日本人のドラマになっている。実際の 英語人は日本人よりも繊細だと思う。 私たちは、子どもを育てるのであれば、言語を育てなければならず。 富みたいのであれば、本当に言動を大切にしなければならない。 経済犯は罪が軽いそうだが、日本という、個性が抜けた歪曲された「プラ スチック社会」に与えられた教訓は、多くあった。読み取っている人も 大勢いるに違いない。歌舞伎中に大泥棒が人気を博すことも。経済市場で 仕組みのすきを突く者がいるくらいのことも。想像がつくのが大人である。 日本人は欲ばかりでなく予備知識も持って戦場にのぞんでほしいと願う ばかりだ。誰が推薦したとか、は二の次だという反応が即座に湧かなければ、 言語をもっと養う必要がある。公務員による不正や犯罪、や、準公務員に よる不正や犯罪、など深刻な構造的問題に対して強い声を出せなければ大人 の国家とはいえない。 おそらく、堀江社長の言ったように(自らの視点をもたない人々の) 財産は、ずる賢く富む人々へ流れてゆく。彼は若く真剣に生きた成果とし て、そのような洞察力をもったのだろう。法律違反は、当人が知って いて行なわれる場合が多い。あえて行なうという「岐路」(分化点)に 立った若者は、今の日本に他にも大勢いると思う。 日本の若者の犯罪は自己抑制の欠如により起こったが、無知によって 起こったのではない。増加しているとすれば、そのような分化点を 地震源のようにあちこちに増加させる力が、国家と国民の主導によって 蓄えられて来たのである。社会の重心が移動している時期には、社会の実相を、 身辺の現実と同格に取り扱い。並列して言語で整理するという(日本人には 一見ムダに思われるかもしれない)考えをもつことが必要だろう。 私たちは、「一体感」にしか共感をもてない日本人のままではなく。 「複体感」を感知できる日本人にならなければならない。 日本人が囚われの身になっている「生と死」の世界から脱出して、 「生と生」の世界へ踏み込めば、容易に現実を取扱い・運用できると、 思う。 日本語について言えば、例えば、目視では確認できない意味を もつ形容詞が、役割を持たされるような言語になるのを期待したい、 ということである。 現代の日本語を多くの事柄の原因と位置付けたが。これは日本語で日本 が運用されているのだから当たり前のことで、誉められる意見でも何でもない。 しかし、だからこそ今回、私はことさら意識して書いた。つまり。日本の 文字を使って、英語で書いているつもりでいる。言語には特長があって。 いま、英語の特長と、日本語の必要性とを使って用を足している、つも りなのである。平易な日本文字を使い、日本語に雑多にある隠語を避け。 流行に影響されない自分を出すという英語を見習い、真剣に伝えようと 試みる英語を見習った。 そして。 私たちは個人は、主体性を養わなければならない、と思う。 主体性とは、「方向性を持った言行(ふるまい)」だと言える。 そして、常に体験を言葉で考えるという走行スピードによって 方向性(意思・意見)は保持されている、と思う。 そして。 自分の言葉で考えることによって発見される独自のこともある。] 2006.1.30。
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平成17年12月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・■当研究所「2005年総観」。モーダルシフトとは「重心の移動」を指している。従来からの「場」の喪失を意味している。電話が、固定から携帯になることによって、器具から機能になったようなことである。アメリカの選挙区「ゲリマンダー」のように。根本だった境界が異質化することである。日本人についていえば。「おたくotaku」とは「幸せに浸っている」人々を嫉妬した日本人の新しい日本語だが。このように、通常、日本語は新興勢力を「蔑視」した形で重層化compileされる。土台は変わらないという態度である。だがそれは、世代間の変化が高速化して許されないだろう。通貨経済は自由な人生を保証したシステムであるから。新奇に染まることができない日本語はさらに蔑視言語へと封じられる。他方、自由に自己を表現する日本人は、経済も人生も、自己実現のツールとして、新しい「立場」を確立してゆくだろう。「好むものへの移動」は自然に加速するからだ。たとえ「朝昼晩が豆腐でも幸せ」というお年寄りがいても不思議ではない。そういうふうに健全に全地球的な変化を起こしている力。これがモーダルシフトを示している。国際的とは「変化の実績」のことである。「おたく」を連発するメディアは嫉妬する保守派で。勝手気ままで自由な田舎は案外とおたくと呼ばれる若者を「笑って見過ごす」かもしれない。「2極分化」しているのだから。不思議ではない。目下、日本の評価はプラスではない。世界で5本指に入る「超過密人口国」で「超高齢国」で「国外では使われない言語」に頼る日本。それでも立国しているのは大量の借用書と盲従労働による。低速になると倒れる自転車立国の姿は、かつてテレビで見た中国の「都会の自転車出勤と農村の人海作戦労働」に似ている。中国はモーダルシフトを察知した最高指導者のおかげで。2004年1年間に2000万人もに都会への移動を許すまでになった。「日本がどこにあるか知らない」という人々を世界中でさらに増やさないために。「変革」を発信しつづける必要がある。「真実」は常にモーダルという磁場を伝播して姿を現わしている。 *急速な成長が期待されている「ブラジル、ロシア、インド」においては、2005年、中国と韓国が日本を追い抜いて、輸入先国の1、2位を占めた。 *アメリカコンサルタント会社の調査「各国総合的経済力」部門では、2005年、@位アメリカ、AスウェーデンBフィンランドCデンマークDドイツEイギリスFカナダG日本、であった。 *2004年度の日本の、貿易量の相手国順位では初めて中国が(アメリカを抜いて)トップとなった。 *中国の通貨「元」が11年半ぶりに通貨制度変更。2005年7月21日から「変動相場制」へ移行した。「1ドル=8.11」元になった。 *韓国の第2外国語では、中学生は日本語を選んでいるが。大学では日本語よりも「中国語」を選ぶ学生の方が多い。 *アメリカでの学習者数(20世紀末の5〜10年間)の減少は「ドイツ語7.5%減/日本語3.5%減/フランス語3.1%減」。増加は「ヘブライ語20.6%増/イタリア語12.6%増/中国語7.5%増」。アメリカの大学生の動機は日本の「漫画・アニメ・ゲーム」の日本語に集中している。 *中国は2回目の有人宇宙船「神舟六号」(略称:神六)の打ち上げに2005年成功した。毎秒7.9kmのスピードで6日間飛行した。] 2005.12.29。
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平成17年8月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・「学位」が公認されない..「アメリカの大学」リスト。 ■ミシガン州不認定学位の最新版お知らせ■
「公認されない留学学位」
。
日本での参考ページ。 ●MEXT表紙 (文部科学省高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)。 国際的な大学の質保証に関する調査研究協力者会議。 2003年11月28日 国際的な大学の質保証に関する調査 研究協力者会議(第3回)【議事次第】。 日本語:国際的な大学の質保証に関する調査研究協力者会議
(第3回)【配布資料】
。 ●国際的な大学の質保証作業部会国際システムWG報告
「ディプロマ(ディグリー)・ミル」
問題について。 ●日本語:各国別
「学校・教育システム」
についての報告。] 2005.8.29。
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平成17年5月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・<研究>と<モーダル>。 私が解析している言語としての英語は、日本の一般的英語教育の反省の上 に、つぎの理論思想も英語分析に応用しています。 平成14年当時の私のメモです。 ------------------------- 身体が感じる刺激のうち、身体組織に損傷など悪影響を与える刺激を 「侵害刺激」というらしい。侵害刺激に応じる感覚受容器は 「侵害受容器」といわれる。 そのうち鈍い刺激つまりある部分がぼんやり痛い(二次痛)を感知して (神経に伝えて)いるのが「ポリモーダル受容器」と呼ばれる侵害受容器 で全身に分布している。 @内臓の痛みもポリモーダル受容器が反応した結果らしい。 この受容器はほかに A機械的圧迫(触圧)や B化学物質による痛み(発痛物質)や C熱、の刺激にも反応する。 刺激が繰り返されると、器官の反応は増強または減衰してしまい、 反応が一定でなく変化が生じるので、刺激による身体のその部分への 影響や損傷を把握する手助けとして反映してくれる、ようだ。 他の侵害受容器としては「高閾(コウコク)値機械受容器」があり、 こちらはチクッとするような鋭い痛み(一次痛)に反応する。 他にも「寒冷侵害受容器」がある。 参考:「モーダル」は哲学的な言葉であって様々な分野で使われている。 マッキントッシュコンピュータにおける音楽作曲技法での「モーダル ダイアログボックスインターチェンジ」とか。 スペースシャトルに搭載する日本実験棟の共振周波数試験「モーダルサー ベイ」とか。 低公害・効率・大量輸送政策による長距離トラック輸送から海運・鉄道へ の運輸省「モーダルシフト」とか。 建築構造物の振動共振実験のモーダル解析とか。 シャープザウルスのモーダルダイアログ(拡張コントロール)とか。 「針灸刺激の末梢機序におけるポリモーダル受容器の役割」とか。 のように思想的には基幹構造に「内在的に潜む外部との関連性・その種の 属性」のようなニュアンスで扱われる、ようだ。 1980年代から世界的に各種研究分野で採用され始めた新しい視点 を代表する言葉のひとつだと思われる。]H17.5.19。
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平成17年4月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・<自由>と<隔たり>。 常に自由を求めつづけなければ、人類に発展はない。 なぜなら、実証的に見れば。「自由」は「カテゴリーを感じさせない」 世界観にしかなく。これまで人間はこの観点をあらゆる局面で発見し つづけ、ついには「可能性」という発明された言葉をほとんどの人が 信じている世紀に辿りつけたからだ。 しかし、それに並行して、人間の知性はすばやくその新しい世界観の 輪郭を個人のビジョンの中に捕らえて、その不備を指摘してしまう。 「自由の寿命」は残念ながら常に短いが、 そのフィードバック(反面情報)が、私たちの感性の盲点を明らかにし、 繊細にさせる。私たちが疲れないのは同時にますますタフな「覚悟」を 発見できるからだ。 このようにして。常に新しい知られざるカテゴリーを発明するのは、 自由を得るのと同等に、困難なのである。 くりかえし言えることがうれしい。自由を求めるがゆえにこの困難を 打破してきたのである。その成果は今日の私たちがさまざまに獲得した 自由の度合いを、古代、中世と比較すれば明らかだ。 まだ、人間世界に国境と国体が残っていると言えるが。その色褪せ具合は 可也(かなり)で独裁者の孤立は避けられない。 私たちの世界の管理システムの流れを、ホップ・ステップ・ジャンプで 見分ければ。 (1)「国境」がもつ意味の軽さは「政治という権利(法)」の終焉を くっきりとさせたホップ。 (2)コミュニスト・ソーシャリスト(社会主義)の敗退は「思想という錯覚 (言論)」の世界の夕暮れのステップであり。 (3)21世紀は、コミュニスト・ソーシャリストから世界を獲得した 「エコノミスト(経済理論)」が支配する時代となるのである。 100年たらずでポケットに入れて持ち歩ける即金という「カテゴリーを 発明」したのである。個人各自が「拡大も浪費もできる自由」を。 冒頭の自由は拡大し、今世紀中に私たちは思うよりもはるかに深い体験を する。なぜなら実体を通して自由を味わうからだ。 密かに味わう自由ではない。 自由度を表す単位も誕生するだろう。「自由一つ星」程度とか、「自由 3つ星」程度とか呼ばわれるようになるのだ。携帯でき可愛らしいソレら が、共通した世界言語(口語と機械語)を介してつながる。 「目に見えないものは心にも見えない」という日本人にとって残されて いる課題は、とても重い。なぜなら、「実体を通して味わう自由」の 「実体」とは、言語が濃縮された「知的生産物」を意味したもので、 旧世紀の物理的存在ではないからだ。 ともかく。私たち日本人の重すぎる課題は、 まず英語が「パッケージのデザイン」以上の意味をもっているものだ、 という認識をもたねばならない、という悲しい現実だ。 エコノミストは、新しいカテゴリーをどんどん発明し開拓する。 「武器の改良よりも、知的生産物の方が速く世界に影響を与える」。 科学者とエコノミストの差は賃金に現れている。 武器による闘争が消滅するのはエイズの終息より前だろう。 コストの高い順に清算されてゆくのだ。 これらが共通言語英語を通して知らされてゆく。 多くの海外の日本人が「日本についてふれない」のと同じ程度に 国内の日本人は「日本についてふれない」。 英語を壁にして日本人同士が互いに「エキゾチック」を味わうという時代 にいる。 「英語」「IT」「金融」次々に日本のパイプが世界につながらない問題が 積まれている、と思う。 「メディア」も積まれた。世界のBBC放送が日本語を廃止して中国語を 拡大したのはとっくの昔だ。 日本に限らず世界の政治は、国連の弱体に見るとおり、粗野な段階の Art(人工産物)だ。南北問題と呼ばれた「後進国問題」は、 角度をかえて先進国にも「東西問題」を発生させて進むことになるだろう。 思想で現実を語らないエコノミストが同時に哲学的であることを望みたい ものだ。 東西の人口も庶民の教養も極端に隔たっており「エキゾチック」といった 感覚でしかつながっていない。 職と食と老化が「移動の自由」を訴えて強烈な圧力になるだろう今 からの時代。言語に新しい価値のカテゴリーを創造してもらいたい。 そして21世紀前半には。 各民族の形骸を残すための「心の世界遺産」保存も重要な課題、と いわれるほどに融合してしまう効果を上げてほしい。]H17.4.26。
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平成17年1月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・<ことば>と<民族>。 日本人的な濃度について。 最近のお笑いブームを、私自身楽しみながらも。「ああ、日本人はこういう風に濃厚な日本民族になってゆくんだなぁ」と連想する。日本人の「お笑い」は現代では「ことば」から来ている。日本の中世にお笑いというジャンルがあったか、踊りや謡い芸能の題材にあったか、近代の狂歌や漫才の作者が与えようとしていたものが「お笑い」であったか、どうか。私の知る所ではない。農作業から解放された時期の祭りや祈願の演目として、それらが提供され、その主催者が主に「ねぎらう」側によって行われたことから見て、「風刺」ではなかったことは推測できる。「華美」が眼を楽しませ、「音曲」が酔わせ、「話芸」が耳を喜ばせた時代の演芸は、おそらく現代に制作された時代劇が描いているようには甘くなかった。映画「十戎」に描かれたような「戒め」が、日本民族流の価値観の「十戎」で大小の支配者によって流布されていた。その意味で「言葉」の所有者は「神」であり、日本では「お上(かみ)」であった。日本語の特徴は「主語がない」と云われる。ルネサンス以前の英語においてもそうであったろうし、言葉による「お笑い」は恐らく両世界に存在してはいなかったと思う。欧州では後に「神権」が地方の王へ、更に後には革命政府へ移転されるに及んで、文は互いにとって「評論の武器」となり「主語」の存在はますます互いの陣営が意図を伝達する際に重要なキーワードとなった。主語は「原理に反逆させる勧誘」運動の上で敵は誰かを指す重要な語であった。つまり思想は「敵か味方か」を主語によって指す言語運動であっただろう。ヨーロッパは平野で面積が狭くまして印刷術をもってからのヨーロッパでは各陣営は、いわば接近戦模様となり。「結束と反逆」を呼びかける「ツールとしての言葉」は「理由と結論」をもたなければ用を足した言葉とはならなかった。理解に混乱をもたらす「ことば遊び」つまり「無駄な紆余曲折」を避けることは全ての陣営にとって必須の表現技術だったろう。この点から振り返って。冒頭の「日本人にとってのお笑い」は、「流行語」でつかみ、「言い損ない」や「物真似」で笑いをとり、「勘違い」で落ちをつく、などは日本語に堪能でなければ味わえない濃厚な日本語趣味が生かされている。したがって、帰国子女や日本語を多少理解する外国人の言語感覚のツボを突くことはない。川柳や俳句を理解できる日本のツボ取得者でなければ味わえない。英語の風刺には婉曲はあるが「ぼかし」はない理論だからだ。私たちの「お笑い」は情緒であって英語のLaugh(個別の「笑い」)ではない。日本語の「技術」なのだ。日本の民族的システム独自のものとして、「sashimi(刺身)」「miso(味噌)」「karou(過労)」「hancho(班長)」「haiku(俳句)」「karaoke(カラオケ)」と同様に、「お笑い」も「owarai」という独立した英単語になった時に初めて理解されたと言えるでしょう。「日本人の笑い」の謎はまだ知られていない。聴衆をつかむ「重要な要素」であるこれらの「無駄な紆余曲折」こそ日本人のことばへのセンス(常識)であり、日本語を停滞させ萎縮させてきた原因でもあるでしょう。庶民が情報を発信できるようになった明治維新以降「口が先の表現技術」が勢力を伸ばした結果だ。発信者が自ら湧き出る問題意識をもたない上に興味が日本人に絞られている今日。表現文の意味ではなくその思想つまり「どのような論理に本音を託すか」「相手への理解をどう示すか」を重視する英語のような言語思想を日本人が理解するのは人類と火星への距離よりも遠いだろう、と思う。つまり半世紀はかかる。中国語に対してはどういう態度を日本人がとるだろうか。私の勘違いでなければ、英文学で育った谷崎潤一郎は、まことに日本人的な彼女からの(への)ラブレターによって、日本人攻略は日本語的によるしかないと結論した。弟の谷崎精二も英文学の教壇に立っていた。日本人を西洋的に攻略することは難しい。NHKの紅白歌合戦のテーマは「愛・感動・希望」だったが。なぜ、(私たちは)「を持とう」とか「に感謝する」あるいは「与えよう」等と表現されないのか。言語に「主語が無い」ということは民族に「個」が無い、ということではないのか。新しい年を迎えました。いつまでも「人生は難解なドラマでなければならない」。新年も愛読くださるようお願いします。 ]H17.1.10。
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平成16年11月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・<落差>と<乱発>。 差別化の拡大について。 工業社会の繁栄は膨大な種類の「商品」を普及させ経済を向上させる。 20世紀末の先進国のように商品が充満して消費が横ばいに入ると、 その経済の横ばいは投資の向上不振を招く。(未開発の国々との落差は 極端に開いて投資の対象にならないからだ)。 つづく戦略が、労働賃金を低下させて施設の維持を賄おうとする ことから、経済は施設の老朽化を長期化させやがて産業の不振は慢性化 してゆく(老朽化した施設は復興よりも廃棄される時期を待つのだ)。 というのは誰の眼にも明らかで。 結果、雇用の縮小は労働分野の変化の引き金となり、 「施設労働型から自立才能開発へ」と人生の指針を偏向させる。 社会全体の関心が「自立」へ向かうなかで、企業投資も個人投資も、 「物からソフトへ」移る市場のニーズに応えて、「商品からサービス」 へと向かう。 すでに経済は細分化へと質的傾向を示しているのだが。そのような時代は、 注目も情報交換も「コンテンツ」という細分化された媒介を中心に行われる 時代の到来を意味する。 ここに言うようなマクロ(総論的)評論は廃れ。 好まれるのは全体の形よりもむしろ細分的内容ということだろう。 (欧米の会社が積極なのはこれが好都合だからだろう)。 人を媒体とする開発はコンテンツを媒介とする情報によって支えられている。 商品は(ハードではなく)「ソフト」を意味することばとなり。 ソフトは(デザインではなく)「メッセージ」を意味することばとなる。 コンテンツ産業とコンテンツ技術者の市場は、当然拡大する。 資本主義経済の大小の下降期には、「従来型商品の不振」を中心とする周辺で 「コンテンツ型商品の乱発」「経営者を含む人材の入れ替わり」が大小の規模 で起こる。 やがて大規模な下降期だけとなり、それらは「大規模」に恒常的となる。 先進国では、コンテンツ産業の経済は大小の規模で起こり、やがて大規模が 恒常的となる。 工業型産業の技術はソフトの進化によって50年間を飛び越えて キャッチアップされる。 中国が本格的に造り始める車は最初から燃料電池自動車ということになるだろうし。 車をあこがれのシンボルとして描けるのは途上国のセンスを代弁する。 自立型地方をめざす人びとが、労働集約型情報をめざすのか、自立型情報を めざすのか。どう按配するか。 教育の哲学がそこに現れてくる。 というのが「今」に対する楽観的な見方の大勢ではないだろうか。 ]H16.11.15。
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平成16年8月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・<植民地>と<看護師>。 「移民」と「移住」は、今日では、肉体や貧困の移動ではなく、 「頭脳の流出」を意味している。国際的には国家間、一つの国内では市民間、 において資金や能力の需給に差が拡大しており。 それを自由化という流動政策によって、国際間で修正する傾向が加速している。 国際的な協定の数は、環境問題分野に限っても主なもので、Web上に国際会議 218件と国際協定18件がある。かつて「国際」は紛争か政治の冠詞であった ものが、現代においては問題化する以前の課題に対しても付けられるまでに拡大し、 将来、人的交流のたぐいの協定も地球を網羅するに及ぶだろう。 撤退も含めて相互に乗り入れて変数的な課題を解決しつつ、 以前よりも良好な関係への糸口を残していける点に自由のすばらしさがある。 未来への糸口とは。 たとえば、、。低い土地を意味する国ネーデルランド人は、 日本では17世紀直前ホラント地方人の来日によってオランダと称されているが。 その直後にアメリカの東海岸へも上陸してハドソン川・デラウェア川河口を 「ニューネーデルランド」と命名し首都を「ニューアムステルダム」と称した。 彼らの後にイギリス人が占めることとなり今日の「ニューヨーク」と 「ニューヨークシティ」になっている。「ブルックリン」「ハーレム」 という地名はオランダの地名が移植された名残です。 同様に、、。今から400年前にスペインが植民地フィリピンに残したアジア最初の 大学。110年前イギリスがフィリピンに建設した鉄道網。 同じく植民地フィリピンに100年前に残されたアメリカの教育システム(全国に 公立小学校建設、アメリカと同じ英語カリキュラムでの教育、医療資格制度)。 、、などは交流相手国の基盤と未来への糸口となっている。 その結果、アメリカでは医師・看護婦として、フィリピンの免許も認められたために、 アメリカへの移民も多かった。 今日。フィリピンは技術教育技能開発庁が中心となって、国策として介護士の養成に 力を入れている。資格者たちその資格を歓迎されて17万人が海外へ出稼ぎ、 アメリカや特にカナダでは大量に受け入れられている。2004年度から国家試験 (技術資格認定局)制度で高い質を維持して労働力として海外に提供している。 それらの動きを下支えしている民間の学校群はさまざまに及び。 介護知識・患者食の知識・民族ごとの特有の食習慣、などが教育されており、 英語力を当然の能力としてもっている。大学卒の肩書きをもってなお看護師として 移住する者もいる。 ある程度信頼をおける教育カリキュラムは6ヵ月で総授業料は日本円換算で 55000円程度ともいわれる。他方、高齢者人口を300万人かかえるカナダ側に とっては、(1)雇用賃金が3割安く雇えるし、(2)住み込み看護士を2年間した 者に永住権を与える制度を準備している。 英語圏へ移住や出稼ぎする人々のレベルは日本人が考える以上に高い。 糸口はこのように、、後に。国際間の需給の高低差を「流動する自由化で埋める」 という気流にのって、送風器の役を果している。 フィリピンは外貨収入のために、国民の英語力向上によって労働力の輸出を 考えているので英語教育の強化をめざしている。国内では、85以上の言語を タガログ語(フィリピノ語)によって共通化する動きを進め民族のアイデンティティ の統一化をめざし。他方、国際的には、英語をスタンダードとする戦略のようだ。 これらの方針がイラクでの人質解放と交換に派遣軍を撤退させるという自立的な 外交姿勢に現われ、日本との違いををみせたのだろう。 同時に同様が起きた時、日本政府は、人道支援からイラクへ入って人質になった日本人 たちを「国家へ迷惑をかけた」として非難している。それなのに西欧は逆に彼らの行動 を評価し解放されたのを喜びました。フィリピンの対処を好ましく思わなかったが、 非難しなかった欧米。非難を恐れた日本政府。 欧米との絆を心に強くもっているのはどちらかと考えさせる出来事でした。 国家間を交流している底流に流れている歴史に、相互の未来への糸口を残してきたか。 絆というソレは、数百年単位の交渉の縁どりにあると思う。 日本のように、国際という言葉を、「貿易」という局面からみる傾向は 全体(歴史的交流)のバランスを失わない範囲で全体にも意味があるが、 結局、相手国の地盤を会計年度で統計するような交流は、足跡を残さないと思う。 今年2004年。FTA(自由貿易協定)交渉でフィリピンとタイからの強い要求に 応じて、日本政府は人材の受入れを条件付きで早期に認めることを約束した。 現在、日本は専門的技術や能力をもつ外国人の国内就労を認めているが、今回の交渉 の候補として「看護師」「介護士」を対象とする見込み。 看護師については2005年に日本人による人材需給は均衡するので、人材過剰に ならないように外国人の対象者は数的にはある程度制限されるとみられている。 就労許可は日本での国家資格取得と日本語会話能力を求める。そのための日本側で 環境整備と支援策も講じられることになっている。 人材に空白を生じようとしている職場では実際に援助を発揮できる心と技能が、求め られる。 今日世界は貿易だけでつながっているのではない。 人材でもつながっている。 低迷を辛抱する日本にあって優等生といわれる愛知県で外資系企業と外国公館担当者 から意見を聞くセミナーが開かれた。 回答された問題点は、 (1)英語が使える弁護士や会計士がほとんどいない。 (2)専門的な語学力を持つ技術者が少ない。など英語力を望む。 (3)外国人子弟のためのインターナショナルスクールの設置を望む。 、、だったという。 優等生の国際度が優等でない辺りに日本の性質と特徴が現われている。 1990年に日本のバブル経済が破たん。 1997年11月三洋証券、北海道拓殖銀行の倒産、同11月山一証券の自主廃業など 日本の混乱、に加えて、同年6月経済の悪化が東南アジア各国と韓国(1997年)の 経済でも発生。 2003年初め前後に、日本のデフレや金利の底の長期化を見越して、外国銀行 (米国系1、ドイツ系1、フランス系1、オランダ系1)や証券会社(オランダ系1)、 が「為替取引部門」を日本から撤退させてシドニーやシンガポールへ移した。 自由な投資活動が行なわれない日本では、投資家にも金融機関にもチャンスが少ない、 と外国資本が判断したのでした。 歴史の進化を想定するなら、日本は、「ものづくりの国」というコンセプトではなく 「ものづくりの人材の国」という言い換えが必要だろう。 もちろん「科学から生化学まで、文化から文明まで」を学際無く開発するという意味だ。 「欧米化」と「国際化」が、異なる質のものである事を、 日本人はこれから何10年間もかけて体験してゆきます。 ]H16.8.3。
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平成16年7月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・<シンボル>と<センス>。 テレビが登場した時代から以後、「リアリティ」の主役が「平和」から 「暴力」へ移った。 離れた地域が単独で生活していた時代には映画の中の平和は、 人々にとって身の回りの日常に感じる平和感覚と符合して、 リアリティのあるものだった。 ハリウッド映画も平和で家族的な映画か刺激の少ない娯楽映画が多かった。 闘争は地上ではまれ出来事だが、それが一斉に何度も繰り返して ばら蒔かれるテレビの時代になってからは、 平和を取り扱った筋書きは受け手に「幻想扱い」される 傾向になってしまった、ように思う。 人びとは、商業映画がテレビのように紛争や暴力やセックスを描かないと、 現実的なリアリティを感じなくなってしまっている。 そうした中にあっても、 ニューヨークでつくられる映画は今でも平和的だったのに、 2001年にそのニューヨークが現実的にはハリウッド的に襲撃され 破壊されてしまいました。 文学的にいえば「情報化された世界の21世紀的皮肉な出来事」です。 その9月11日の飛行機テロ事件。 これは歴史的にみれば、 テレビメディアの技術的普及が引き起こした現代的病理現象が、 ハリウッド映画に感染し、その影響をテロリストが受けた、 という文明的回路の結果だと思う。 イスラム世界に限らず人びとには<シンボル>という考え方はなく。 当然、ツイン・タワーという建造物そしてそこで働く人々に対する憎悪は無いはず。 テロの対象に選ばれたのは「アメリカのシンボル(象徴)」として 写し出されていたそれでした。 彼らがすでにハリウッド的な西欧的なコミュニケーション手段 つまり「シンボルによって創作される世界」によって影響を行使する方法以外に 強力な意思伝達をもっていない、ということを示唆している。 人口・食料・エネルギーなど現実世界の21世紀の課題を、 ハリウッドは「脅威」として描き、科学者は「革新」の機会として挑戦する。 ミニコミとマスコミが私たちの情動の端緒となるのは立場を越えて 共通であることを考えると。 私たちは、 実生活から届く「現実」は普通郵便のように遅く、 マスコミから届く「世界」は速達のように速いのだから、 その差間に生じる「無の空間」に「人間としての<センス>」を 働かせなくてはならない。 「センス(個人的常識)」が教育の基本にあるべきとすれば、 それらは与えられる知識ではなく、 それらは目覚めさせられた瞬間というものだろう。 他に頼らずに、無意味だったものが有意味なものに見えてくる瞬間をもてる力。 言われずとも、物事にこちらから着目する意識が「センス」というものだろう。 リーダーとして人に接する人びとに、 誰もが持ちうるこの意識を与える「瞬間」を創り出せるメディアやその担い手の 誕生がどこかで起きているにちがいない。 そういう流れは、荒れてきた日本のメディアを救うし、 無差別テロの妄想を解き放つ。 第3世界のメディア誕生、各国のドキュメンタリー制作会社の誕生、などをみると、 世界を巻き込んだツイン・タワーの悲劇は逆に、 この新しい流れを加速させたように感じます。 ニューヨーク派の映画を好んだニューヨーカーたちの知性のまともさは 最も大切なセンスの一つだ。 人種の混合は重要なセンスを生む。]H16.7.1.
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平成16年6月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・ <水>と<1日>。 私たちの身体について。 人体は60兆個の細胞で構成されている。 さらに、人体の化学的構成を見ようと漠然とした資料からあえて数値化すると。 「60%水分」「17%タンパク質」「17%脂質(脂肪)」「5%ミネラル」 「1%糖質(炭水化物)」というモデルになる。 「水の星」地球に住む私たちは、「<水>の生命体」でもあります。 そして海から陸に上がった体の中に海をとじ込めています。 海の3.5%に対して人体の塩分(細胞外液に蓄積されている)濃度は、 0.8〜0.9%に保たれています。 腎臓の糸球体が血液から、血中水分と共に、多すぎた塩分や尿素などほとんどの 最終不用物質を回収しているのです。 食料であった脂質と糖質は分解された結果、二酸化炭素の息と、尿になる。 タンパク質は体内に10万種類ありますが分解されて残った窒素も不用物質です。 これが尿素です。 体内の化学変化に使われた水はこのように体外に流される。 (呼吸や汗でも1000cc位が出ていますが) 健康時の平均尿量は1000〜1500ccといわれます。 日常の水分摂取の役割は、失われる水の補給ですから、 正常な<1日>に飲む必要な水分量は1500cc〜2000ccとなります。 生命体にいう一定あるいは普遍の姿とはどの側面をいうのかさだかではないが、 それは常に外界とそれを感じる感覚に起因して反応した姿といえる。 変化に比例して変化するという柔軟性が結果をもたらしている。 複雑なしくみで働いている基礎代謝が、気候の異なる環境に合わせて順応するには 2週間かかります。 体が暑さについてこれない季節の変わり目の梅雨明け前後には塩分が多い汗をかきます。 激しい運動作業では意識が薄れる危険がある熱中症の原因にもなります。 水分と共に塩分の補給も重要です。 昔の日本は「体温計と胃腸薬と風邪薬」だけで健康を保持していた家庭が大半 ではなかったかと思い起こします。 安静時に汗をかかなければ身体が正常に働いているという目安に信頼をおいていた 時代でした。 冷暖房のととのった現代生活で自分の汗から健康を測ることが出来なくなった という気がしませんか。 長寿にともなって寿命の意味が心配と同義語になるにしたがって 日本人の健康観もゆらぎ勝ちです。 身体になんらかの異常が起こって体温が1度上昇すると体の中の化学変化は 通常時に比べ30%も活発になります。 体温計が40度くらいを指すような時には2倍も体が消耗しています。 健康法とは判断のことですからこのような時に、すばやく休息と栄養を補給する、 生活の判断こそが最大の健康法ではないでしょうか。 私たちは全身が空気にさらされて常に酸素を被爆(ひばく)している。 女性は愛よりも被爆前の赤ちゃんのような肌を望むかもしれない。 しかし、熱い体から低い温度の空気へ熱を放出できているおかげで 健康でいられるのです。 なぜなら、体の中で常に起きている化学変化を促進するいろいろの酵素が もっとも順調に働く温度、つまり36.5〜37度に体温が調節されるからです。
「水分の減少とその脱水症状」
@0〜4%では、のどの渇き。
A4〜8%では、おしっこの減少・吐き気・脱力。
B8〜10%で、尿毒症・意識障害。
C12%以上で、死亡。
「器官別の水分比率」
@脳は、約75%。
A心臓、約79%。
B皮膚、約72%。
C骨は、約20%。
「人体の水分率」幼児(5kg) 若者(60kg) 老人(60kg)
水分含有率 幼児77.0% 62.0% 53.0%
水分量 幼児3.85kg 37。0kg 32.0kg
細胞内(滞留) 幼児2.55kg 25.0kg 20.0kg
細胞外(循環) 幼児1.3kg 12.0kg 12.0kg
(成人男子の人体のおよそ60%、成人女子は52%〜58%が水でできている。 女性は脂肪が多いので男子より水分が少ない)。 ]H16.6.1.
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平成16年5月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・ <音>と<健康>。 タバコの害について。 私たち動物は「開放系」の生命体といわれます。 外界のものが体の中を通り抜けてゆくようにできています。 主に食べ物が筒を通り抜けます。 そして体液の塩分が一定濃度に保たれてむくみがでなければ<健康>は保たれる。 鼻も含めこの経路は大抵のものは去ってゆくので 慢性的な副鼻腔炎であっても放っておいても高校に上がる頃には自然に治ってしまう。 入口であるのど仏のところの弁と出口の肛門は通常は閉じてる。 これら全体を「大循環」という血流が面倒をみている。 筒はのど仏の所で二股に分かれていて弁は通常こちらを開けている。 こちらは奥で行き止まりの方向で肺で終点となっている。いつでも肺へ 行ける玄関が開けっ放しになっているという事だ。 直径0.3〜2ミクロンの微粒子は肺の防御機能がない最奥地「肺胞」まで達します。 生物兵器の細菌に肺胞まで侵入されると対策はありません。 1本の気管が23回も枝分れして先に無数の小さな肺胞があって 酸素の吸収をしています。 空気中に21%しかない酸素をキャッチしているのです。 呼吸によって絶えず突風のような空気の流入と流出に繰り返し さらされている肺は、さまざまな微粒子に攻撃されている。 それに加えてタバコの煙という突風が 何度も分れる気道の二股の分かれ目の突起周辺に吹き付けられると 付着して細胞の表面をおおいただれさせていきます。 小さな細胞からみれば 宇宙船コロンブス号が大気に突入する時の空気との摩擦を想像してもいいでしょう。 咳をする時の肺からの排気スピードは<音>速に近いという計算もあります。 肺の面倒をみているのは「小循環」という血流で、 この特徴は、体中を回って 「炭酸ガス・老廃物・血栓・病原菌・腫瘍細胞の塊など」を回収してきた 静脈血だということです。赤く元気な血ではありません。 肺はそれを受け入れてクリーニングしながら酸素も補給するという 辛い仕事を1/6の血圧で処理しているのです。 左半身には心臓の大半があるので右の肺が特にがんばっています。 また、 右肺の気管は喉から真っ直ぐ風に伸びているので 食べ物があやまって入ってしまうのも右が多いです。 吸入した空気の酸素濃度が18%未満になると「酸素欠乏」です。 肺がこんなにガンバっているのを忘れないでいてあげて下さい。 鼻のつまりはすぐ気になりますが肺のつまりは少しずつで重大です。 ]H16.5.1.
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平成13年9月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・・ギリシャはほとんどの学問を生み出して、経済学が抜けていたとしても、かつて長い間「その哲学」が世界の知識の根底にあった。今日のように経済学が誕生してからの世界では、アメリカの「その経済」が知識の根底に居座ろうとしている。今日までの知識は転向を余儀なくされている。しかし、経済もやはり根底では、昔と同じ震源の上に成り立っている。つまり、男性と女性の目論見の差から生じている。そしてやはり、知識は人が現実を受け入れるために仕組まれるのだ。不可避な現実と拒否できる現実を。]H13.9.1.
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平成13年8月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・時代の進歩は、人生の当初の期待を追い越すほど速い。だから、人生の終盤では「もう、じゅうぶん」という気持ちになれるのだ。人類の知恵はスゴイ。こういう世紀には、自分の考えを磨く合間に、他人の考えを勉強する、という順序が時間的には正しいかも知れない。]H13.8.1.
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平成13年7月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・善悪とか正義/不正義という見方は一方的な立場からの表現で、決して平等とはいえない、が、しっかりと筋の通った言論となる。対立関係を描こうとする場合に、平等公平であろうとすると、どちらの当事者からも離れた立場で語るために、言論が対立の核心を投げかけるものにならない。表現伝達によって理解されようとする切実で最も基本的なエネルギーを持てない事は、根本的弊害をもたらす。筋の通った言論を避ける事は一見、平和で有効的だが、真の秩序を構成する事はない。現代がもつ無秩序の不安は、平等主義・公平主義の討論が当事者意識の外で行われているためではないだろうか。]H13.7.1.
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平成13年5月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・猛烈な勢いで変化してゆくこの時代を、できるだけ自己の中に蓄え、しかも除かず、辻褄(つじつま)のあった1つの世界として収める整理は簡単な作業ではない。やり遂げて、幼少期をも高年期をも取りこぼさずに自分の体液として保水すれば、人生が渇くことはない。「いつが本当の自分だったのか」という代わりに、「いつも自分だった」と言えるからだ。しかし現実には、意識の根底である美学も猛烈に移り変わる。わずかに衰えた青年である筈の自分にも「若者たちの、賢い会話や・謙虚な行動や・付けまつ毛」が眩しく写る。はしたなく言えば「クソっ。負けないゾ」と、使えもしない言葉で奮起してみる。ずっと保水に挑戦していたいのだ。私の若さは、現在の日本国の若さに似ている。「若いつもり」と「若い」とは、明らかに異なる。日本は資本主義経済の実りを何度目も体験し、もう資本主義の収穫への感謝も薄く、除草の努力も怠りがちだ。今の姿勢では、自由主義経済を自由に積極的に暮らす冒険を、若者のようには始められない。かつては先の心配を捨てさせるほど強烈なビジョンを天空に広げていた、日本が青年期の思い出を失ってしまったつけは大きい。21世紀、私たちは「資本主義」から第2の拡大ステージの「自由経済」の大海へ漕ぎ出す。塩分濃度も塩辛くなる。「欧米化」と「国際化」とが、異なる質のものだという事を、日本はこれから何10年間もかけて体験してゆくのだろう。実は日本人はこういう課題を待っていたのかもしれない。]H13.5.17.
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平成13年3月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・吸っている空気はモンゴルの方からやってきて、吐いた息がアラスカまで届くのか、と想うと。自分が人間なのをすごく誇りに思う。知識と想像力で、どこまでも旅が出来る。過去の旅で発見された価値が知恵となって次の世代に引き継がれてゆく。人類だけがやっている自ら好んでする苦労と努力。自分の生命まで危うくしてする冒険。生物と物質との間に補助の橋をかけるのも「人類」にしかできない。その視野の中には、原子も遺伝子も昆虫も猛獣も惑星もいる。進歩する通信技術による人と人の連携プレーが、未解決の問題を解決し、安全で平和な地球生活をつくって行くだろう事は今の所まちがいない。知識は現実をメルヘンに変換する。そうでなければ、人にとって知識の価値はどこにあるだろう。19世紀イギリスロマン主義文学のワーズワースは、人類の基本的な2つの業績を芸術と科学だ、と言った。石はユークリッドの幾何学を表しているので科学を石に例え、世界の全ての詩を意味している貝殻に芸術を例えて、詩にしている。]H13.3.27.
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平成13年2月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・正義とは変化するもので、能力を発揮する場が少ない時代には「能力ある者」がその地位に就くというものだ。(実際には誰にでも能力があるのに能力を開発されることが制限されたのだ)。社会全体の労働配分を考えれば、それが正義として認識できた。21世紀に大規模企業経済から小規模企業経済に移る中で能力発揮の機会が増大すると、従来の「人の能力を開発しない」というのは不正義だと考えるのが社会全体の合意(コンセンサス)となる。]H13.2.
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平成13年1月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・人間は、考えていたいし考えないのを嫌う。そして、その思考は多くの場合、(思考を含めた)行動の手間を省きたいという目標に向けられている。その狙いは、人生をゆったりと平和に暮らしたいという動物本来の性質からきている。現代においては次の形式で現れている。よく考えられた「生産」から「流通」までは思考を代行しているし、「商品やサービス」は完璧なほど思考を代替している。にもかかわらず、多くの場合ゆったりと過ごさないのは、努力してもっと早く実現を達成したいと望んでいるのだ。「資本主義」が「個人主義」と相入れないものではない、という訳がここにある。一見有利そうにみえた社会主義や全体主義が個人主義と相入れなかったのは、資本主義のように個人差のある願望を成立させるシステム、を含んでいないからだ。21世紀は、ますます資本主義国家が増えるだろうし、個人主義も強まるだろう。時間と国を超越したレベルにまで資本主義と個人主義は密接するだろう。個人の願望に応えるのに誠実でない政治や企業は消滅するだろう]H13.1.
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平成12年12月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・「親に心配をかけたくない」という若い人々の心理には、「そういう自分になりたい」という表現が重ねられていると思う。そういう人々にとって「親が心配しない」という中には、「自分が社会に適応している」という保証が含まれている。親は「信頼できる社会の一部として」機能している。若い人々にとって「信頼できる社会」を実感できる機会が減っていることは事実だ。雑誌やテレビには大人社会を正確に正しく伝えて欲しいと思う。直接の「社会」を避けて親という「社会の鏡」を見ざるをえない立場に若者を追いやっている大人の閉鎖性を、私たちは自分自身の中で打破しなければならない。その閉鎖性を、仮に「自分の子どもにだけ関心が向いている閉鎖性」だとすると、本来の日本が持っている温和で自由な雰囲気を取り戻すのは、考えられているよりも経済的で即効的で易しいかもしれない。若い人々から「大人に心配をかけたくない」という表現をしてもらえる社会こそ、若い人々を大切にした大人の社会の証明ではないだろうか。高齢化してなお日本的でしかも21世紀の先進国らしい「日本」を判定する基準の一つとして達成したい。なぜなら、すぐ次に世界に心配をかけない日本の達成が期待されているからだ。]H12.12.
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平成12年11月の論説
(研究所はどの団体にも所属していません)・「現在の日本で起こっている衝撃の実体は何か」の答は一つではない。研究所の観測は《二重の変革が同時に発生している》という点だ。構造的衝撃と時間的衝撃。時間的衝撃は言うまでもなく同時進行による錯綜の衝撃。一方の構造的衝撃はより重要な混乱を起こしている。二重の変革(その1)は、「時代背景」という考え方の死だ。かつて時代背景という同じ船に乗り合わせた人々は今では同じ船というだけでは目的地も同じとは言えなくなってしまったのだ。二重の変革(その2)は、「群衆の中の自分」という観念の死ではないだろうか。もはや「人々」は自分を包んでいてくれる暖かい毛布ではない。気付けば人生の命題の中にむき出しにさらされた自分がいるのではないだろうか。想えば日本人は長い間2つの観念に包まれて命題というものから隔てて貰えてきた。それが今2つの死の到来を同時に体験している。制度や慣習の急速な変化は失った個所にあてる新しいパッチワークだ。若い人々を中心に平行発生しているスタイルは命題と生き始めた日本人の誕生のひとつ。全体として私たちは、対策(1)当面の緩衝材として2つの死を延期させること。(2)可能な時間を取捨選択の整理に当てること。(3)身軽になって行動のエネルギー効率を高めること、でしょう。]H12.11
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Jul.17.2009.